美の評価軸が、百年で入れ替わっていた
細尾は、現代のシルクの「良さ」が、実はごく最近つくられた基準にすぎないことを指摘する。シルクには6A、5A、4Aといった等級がある。最高が6Aだ。だが、この基準が何を測っているかが問題なのだ。
「いい糸っていうのが、ここは百年ぐらいで決められたもので、基本的には六A、五A、四Aとか評価軸があって、基本的には糸の均一性ですね。なるべく節が少ないと。つまり蚕も生き物ですので、ふーっと吐いていくわけですね。で、やっぱりちょっと体調悪かった人はふっふっふってなってて、節、節が出てしまったり、なるべく節がなく均一が良いとされておりますし、また白さですね」(Session 2, 08:51)
均一で、節がなく、白い。それが「良い糸」とされてきた。だが、考えてみれば奇妙だ。蚕は生き物で、体調によって糸の太さは揺らぐ。その揺らぎを「節=欠陥」として排除し、均一さと白さだけを良しとする――これは、美の基準ではない。工業製品の基準だ。
なぜ、そうなったのか。細尾は、この百年の産業史を精密にたどる。江戸以前、高級な着物は絹だった。だから先人たちは「いい着物を作るにはいい蚕を育てなければ」と切磋琢磨し、自由競争のなかで多種多様な蚕の品種が生まれた。美しい織物のための糸を、誰もが競って追求していた。美の表現が、多様だった。
それが明治で反転する。
「明治になってきまして、非常に日本養蚕がいい絹が取れてということでありまして、非常に外貨獲得できるということもあって、ある意味国が統制して、日本の一つの基幹産業として養蚕ってことをやるようになっていったと。で、そうなってきたんですけども、主な売り先っていうのは、その当時は、例えば米軍のパラシュートとか、まだデュポン社がナイロンを発明する以前ですので、だったり、またあとご婦人方のストッキングとか、いわゆる産業資材としてシルクを輸出するということがメインだったわけです」(Session 2, 01:16)
良質な絹は外貨を稼ぐ。国は養蚕を基幹産業として統制下に置いた。だが主な売り先は、美しい着物ではなかった。軍需のパラシュート。ストッキング。デュポンがナイロンを発明する前、シルクは重要な工業素材だったのだ。産業資材に求められるのは、美ではない。大量生産と均一性だ。国が品種を統制し、農家に支給する。評価軸は「均一・白・大量」へと収束していった。
そして、均一・大量・低コストを突き詰めれば、行き着く先は人件費の安い土地だ。生産は中国へ、ブラジルへ、いまやインドへと流れ、日本の養蚕は枯れていった。細尾が江戸のシルクに感じた〈アノマリー〉の正体が、ここで明らかになる。彼が触れたのは、布がおかしかったわけではない。百年かけて、人類が「何を美と呼ぶか」を産業の都合で取り違えてきた、その取り違えの証拠だった。 一枚のシルクは、問いの形をしていた。


