アノマリーは、問いの形をしている
優れた発見者は、この瞬間に目をそらさない。
ふつう、自分の前提と食い違うものに出会ったとき、人はそれを例外として脇に置く。たまたま良い一枚だったのだろう、保存状態が良かったのだろう、と。そうやって、世界観を守る(科学哲学者トマス・クーンが「アノマリーの棚上げ」と呼んだ反応に近い。後述の補助線を参照)。だが細尾は、逆をやった。「なぜ」という問いを、そこから手放さなかった。 なぜ、二〇〇年前のほうが美しいのか。この問いを握り続けたことが、彼を一二〇〇年の織物の、さらに上流へと連れていく。
ただし、ここで彼は一つの罠を避ける。「江戸に帰ればいい」という結論に飛びつかないことだ。
「だからといって、江戸時代に立ち返ればよいわけではありません。現代にはより高度な構造設計や多様な糸の開発が可能な技術がありますし、全てを手作業で再現するのは、現代の経済合理性とも両立しません。そこで重要になるのが、江戸時代の美しいシルクを現代のテクノロジーでリバースエンジニアリングし、その本質を解析したうえで、いまの織物に取り込むことです。江戸時代の着物の中に見出した未来の可能性を、現代の技術と融合させ、次の時代の織物を生み出していく──そうしたイメージを持って取り組んでいます」(WWDJAPAN「HOSOOとソニーCSLが挑むシルク革命」2026年2月)
リバースエンジニアリング──工学の言葉だ。完成品を分解し、その設計原理を逆算する。細尾は、江戸のシルクを「すでに失われた未来の技術」として扱う。懐古ではない。過去の中に未来が埋まっている、というこのシリーズの主題が、第1話のこの一点ですでに芽を出している。
では、その〈アノマリー〉の正体は何だったのか。なぜ、技術が進歩したはずの現代が、素材で過去に負けたのか。答えは、布そのものにではなく、布の背後で起きた百年の地殻変動にあった。


