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2026.10.27 15:15

地雷原で磨いた「透ける化」技術で、道路陥没から日本と世界の暮らしを守る

雑賀正嗣|ジオ・サーチ

無収益の地雷除去支援が技術を磨いた

創業者の冨田洋は、三井海洋開発の米国駐在員時代に、GPRで地中を可視化する技術に出合った。帰国後、トンネルの覆工コンクリートと土砂の間にできる空洞の調査事業に乗り出したが、その矢先に勤務先の会社が解散。それでも技術の社会的意義を信じた冨田は自ら起業し、ジオ・サーチが誕生した。

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東京電力の水路トンネルの調査などを手がけていたころ、銀座で道路陥没が相次いだ。対策を急ぐ当時の建設省から声がかかり、技術開発の末、1990年に世界初の路面下空洞探査システムの実用化に成功。同年には平成の即位の礼のパレードコースで、地中の空洞を発見する実績も残した。

その論文に目を留めたのが、国連の地雷除去チームだった。「地下の空洞が見えるなら、地雷も見つけられないか」。地雷は、地表から非接触で「形状」と「深さ」をつかめれば除去できる。だが、地雷除去支援は慈善事業で、もうけは生まれない。それでも冨田は参加を決めた。当時の判断を、雑賀はこう語る。

「本業ではないし、収益事業でもないけれど、冨田は『人道的に許せない』という思いで始めました。ボランティアでずっとやっていたんです」

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寄付を集めて開発を続けた結果、それまで約50cmの空洞を探していたレーダーの解像度は3cm程にまで高まり、形状も可視化できるようになった。この高解像度の可視化技術は、のちに埋設管の可視化サービスや、橋の非破壊検査サービスに生かされている。

支援は、日本企業数社が結成したNGO「JAHDS」を通じて行われた。家電大手や自動車大手などと連携して復興を支えるなかで、冨田は「技術の進化」と「それぞれの得意技の組み合わせ」こそが社会課題の解決に欠かせないと気づく。これが、異分野の企業や大学と組む現在の同社の連携の土台になった。収益事業ではなかったが、結果的に技術、さらにそれ以上のものを得たのだ。 

「我々がやらなきゃ、やれる人はいない」

経営の転機は、2011年の東日本大震災だった。それまでは、予防保全の必要性を地道に訴え続け、需要は「じわじわ」と増える程度だった。同社はこの震災を機に、スケルカーを一気に増やし、人員も大幅に拡充する。採用のため全国を回ったのが、現社長の雑賀だ。組織づくりが追いつかず、定着に苦労した時期もあったが、「我々がやらなきゃ、やれる人はいない」と信じた。

このときつくった設備と人の体制が、その後の熊本地震や能登半島地震、そして八潮の事故後の緊急対応力の土台になった。一方で、時間のかかる研究開発は途切れさせずに続けてきた。必要なときに一気に投じる設備と人への投資と、長い時間をかけて磨き続ける技術。その組み合わせが、同社の「質」と「スピード」を支えている。

海外進出も、無収益の活動から始まった。東日本大震災や熊本地震の際、台湾から多くの支援を受けた恩返しとして、台湾東部の花蓮(ホワリエン)での地震の後に空洞調査を企画した。

「お金を募ってみんなで寄付を持っていくのもいいけれども、技術でジオ・サーチらしくやってみようということになりました」

花蓮に加え、豪雨に見舞われた南部の高雄(カオシュン)などでも調査を行い、陥没寸前の空洞を次々と発見した。技術は現地でも高く評価され、19年に支店、25年には合弁会社を設けるまでになった。ここでもまた、無収益の活動が本業に返ってきたのだ。

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文=新村海咲 写真=平岩享

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