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カルチャー

2026.10.06 07:34

アートに観客不足の問題はない。あるのは「存在意義」の問題だ

stock.adobe.com

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アートは観客に困っているわけではない。

人々は何時間も音楽を聴き、コンサートやフェスティバルのために国を越えて旅をし、展覧会のために列に並び、大小さまざまなスクリーンでストーリーを観賞し、オンラインでアーティストをフォローし、文化的な体験から体験へと移動することに多くの時間を費やしている。

それでも文化セクターでは、「観客問題」について執拗に語り続けている。おそらく、私たちは問題の診断を誤っているのだ。

英国のデジタル・文化・メディア・スポーツ省によると、2024〜25年度にイングランドの成人の91%が過去12カ月に何らかの形でアートに関わったと回答している。映画だけでも54%に達した。実際に足を運ぶだけでなく、人々はデジタルチャネルを通じて、音楽、パフォーマンス、ビジュアルカルチャー、文学と常に接している。

文化への意欲は消えていない。細分化し、多様化し、形を変えたのだ。一部の文化機関が観客問題と呼ぶものは、多くの場合、「存在意義」の問題の下流に現れる結果である。

文化はアテンションを競い合っている

かつて文化団体は、比較的明確な境界の中で活動していた。劇場は他の劇場と自らを比べ、美術館は他の美術館を見ていた。コンサートホールが意識するのは、他のコンサートホールだった。その境界は消えた。

展覧会や公演に行くかどうかを決める人は、同時に、レストランに行くか、スポーツ観戦をするか、週末に旅行するか、フェスティバルに参加するか、あるいは自宅でドラマのシリーズを観るかも天秤にかけている。これらはまったく異なる活動に見えるかもしれないが、観客の視点から見れば、時間、アテンション、お金という限られた同じリソースを奪い合っているのだ。

このことは、文化機関のリーダーが問うべき問いを変える。来場者数が減少したとき、よく取られる対応は決まっている。マーケティングを改善する、若い層にアプローチする、SNSの投稿を増やす、割引を導入する、キャンペーンを変更するなどだ。どれも役には立ち得る。だが、どんなキャンペーンも「存在意義」の問題を解決することはできない。

人々がある機関の提供するものを理解し、そのうえでなお自分の時間を費やす価値はないと判断しているなら、問題はもはや単なるコミュニケーションではない。それよりはるかに深いところにある。

「存在意義」は「人気」とは異なる

ここで議論は居心地の悪いものになる。なぜなら、「存在意義をより高める」ことが、あまりにしばしば「より商業的になる」ことと解釈されるからだ。そうであってはならない。

最も力のある文化体験の中には、観客がすでに欲しいと知っていたものを何一つ与えないものがある。それは人を揺さぶり、驚かせ、まだ存在を知らなかったために検索することさえできなかった何かへと導く。

3世紀前に創作された作品が、衝撃的なほど現代的に感じられることもあれば、先月制作されたばかりのものが、すでに時代遅れに感じられることもある。

存在意義とは、新しさのことではない。流行を追うことでも、フォーカスグループに従ってプログラムを組むことでもない。芸術的な目的と、機関が届けたいと願う人々の生活との関係のことだ。

文化セクター全体で、同じ緊張関係が繰り返し現れる。最も売りやすそうに見えるものが、必ずしも観客との最も強く、最も長く続く関係を生むとは限らない。

つまり、有益な問いは単に「どうすればもっと多くの人を引きつけられるか」ではない。

より難しい問いは別にある。「なぜ私たちが存在することを、誰かが気に留めなければならないのか。この機関を通じてのみ可能で、他では起こり得ないこととは何か。私たちは人々の生活の中で、どのような位置を占めたいのか」

そして、おそらく最も居心地の悪い問いはこうだ。「もし私たちの機関が明日消滅したとしたら、現在の観客以外の誰が、その喪失感を心から抱くだろうか」

これらはマーケティングの問いではない。リーダーシップの問いである。

観客を後回しにするのをやめる

組織が犯しがちな過ちは、観客を議論に加えるのが遅すぎることだ。

あまりに多くの場合、まず芸術上の判断があり、その後に予算と運営が続く。マーケティングチームが、すでに決まったものに対して観客を見つけるよう求められるのは、そのさらに後だ。この順序はますます時代に合わなくなっている。

最初から観客について考えることは、観客に展覧会をキュレーションさせたり、シーズンの演目を組ませたり、芸術的選択を決めさせたりすることを意味しない。観客中心であることは、観客主導のプログラム編成と同じではない。根本的な意思決定がまだ行われている段階で、その機関が誰に奉仕するために存在しているのかを理解するということだ。

その理解は、プログラム編成よりはるかに広い範囲に影響を及ぼす。料金、開館時間、もてなし、教育、パートナーシップ、デジタル上の存在感、公共空間、さらには組織が自らの存在理由を説明する際に用いる言葉まで形づくる。

言い換えれば、観客開発は単なる一部門ではあり得ない。組織としての能力にならなければならない。それは来場者数の数字だけを見るのをやめることも意味する。

完売したイベントは、ある特定の夜の需要について何かを教えてくれる。しかし、人々がその機関と本物の関係を感じているか、再び訪れるか、なじみのないものに賭けてみようと思えるほど信頼しているかについては、はるかに少ないことしか教えてくれない。

リーチは重要だ。頻度も重要だ。ロイヤルティも重要だ。しかし、好奇心、信頼、帰属意識も同様に重要なのだ。

目的は、単に人々を入口の中へ入れることではあり得ない。再び来る理由を与え、その機関を信頼する理由を与え、最終的には、それが自分の生活の中にあるべきものだと感じてもらうことでなければならない。

存在意義は受け継げない

文化機関は今なお、周囲の社会や都市にとって重要な存在である。OECDの調査は、文化・創造活動が経済発展、イノベーション、社会的結束、地域の魅力向上にいかに貢献できるかを実証している。

しかし、歴史的重要性は、将来にわたる存在意義を保証しない。どの文化機関も、観客の関心を得る権利を受け継いでいるわけではない。

長年にわたり、このセクターは、どうすれば観客を呼び戻せるのか、どうすれば参加を広げられるのか、どうすれば新しい世代に届くのかを問うてきた。それらは今も正当な目標である。

だが、おそらく今、より有益な問いは別にある。私たちは、彼らの関心を得るに足るほど変わったのか。

観客は消えていない。文化は力を失っていない。むしろ文化は、人々が日々を過ごし、アイデンティティを築き、コミュニティを形成し、世界を体験するあり方の中に、これまで以上に深く織り込まれている。

課題は、文化機関がその体験の中心であり続けられるかどうかだ。

時間、お金、アテンションの使い道がほぼ無限にある世界では、存在意義を当然のものと見なすことはできない。それは構築され、実証され、絶えず更新され続けなければならない。おそらく観客問題とは、実のところ観客の問題ではなかったのだ。

(forbes.com 原文)

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