「残るための場所」を、一つずつつくる
多くの地方都市は出ていけとは言わない。人が残るための場所が、一つずつ失われていくだけである。田中さんの10年余りの仕事は、この一文を反対から書く作業だった。ホテル、遊歩道、商店街の店、そして芸術祭。残るための場所を一つずつつくる。
近くに舞台があるから、踊りを続けることを考えられる。小さな店が続いているから、自分も店を持つ未来を想像できる。場所は、すでにある夢を受け止めるだけでなく、まだ言葉になっていない夢を生み出す。
作品の5人は、そうした場所で生きてきた。自分で「リリィ」という名前を選んだ女性は、髪形も話し方もつくり、自分の意思で断れるようになっていく。けれど、その名前は本人が辞めた後も、別の身体で働き続ける。毎月の誕生日を企画する女性は、花の色や客を迎える段取りを決め、一夜の祝祭を成立させる。祝われる喜びは本物だ。それでも、疲れた日にも幸福そうな顔を返さなければならない。子どもを育てながら働く女性には、助けようとする視線と、母親としての正しさを求める視線が重なる。親密さと苦しさが、同じ場所にあった。
この建物を展示空間としてひらく私たちも、街の変化の当事者である。かつて働く場所だった空間を、鑑賞の場所に変えている。そこにあった生を、「再生以前」の一言で片づけはしない。何を見せ、何を見えなくするのか。その問いから、作品をつくる私たちも自由ではない。

鏡の前に座れば、ウィッグと衣装のあいだに鑑賞者自身の顔が収まる。一人が立ち去っても衣装は残り、次の顔が同じ位置に入る。舞台に立つ人も、毛布を抱える人も、ほかの鑑賞者の視界に入る。奥の部屋のソファに座ると、店の音は届いていても、建物や人の顔が視界を離れ、空だけが見える。

「空だけは、こっちを見てこなかった。」
題名にしたこの一言は、子どもを育てながら働く女性の言葉である。最後に残る空は、そのどれも肯定も否定もしない。誰が正しく、何が本当だったのかも告げない。空を見上げる側もまた、誰かに見られ、名づけられ、評価されながら生きている。
会場を出れば、目の前には前橋の街がある。新しい場所ができても、失われた人生の続きを、そのまま取り戻すことはできない。次の誰かの希望が生まれることと、かつてここにいた誰かの喪失は、ともに街に残る。私たちは、その時間を、未来へ向かう前橋に重ねた。
前橋市と田中さんの財団が2016年に策定した街づくりのビジョン「めぶく。」から10年。その節目の芸術祭は、成功の物語で街を埋めることもできた。芽吹く街、変わった街、アートの街。田中さんは開幕前日の内覧会で、作品だけでなく、街並みや裏通り、建物、そこで暮らす人々を見てほしいと語った。その裏通りには、芽吹きの物語にまだ収まらない夜も含まれる。
作中の踊り手にとって、沈む床は踊りを生む条件だった。設備の尺度で測れば、直すべき欠陥でしかない。中心で当然とされてきた尺度が、ここで揺らぐ。私が辺境と呼ぶのは、その揺らぎが起きる場所である。建物を新しくするとき、そこで育った工夫や関係を、どのように受け継いでいけるのだろう。規模や中心からの距離だけでは、こうした場所の価値は捉えられない。


