ここで少しだけ明確に伝えることが、驚くほど多くの不満を防いでくれる。たとえば、ヘッドホンをしているときは話しかけないでほしいという合図にする。あるいは、朝の最初の1時間は基本的に集中作業の時間にする。こうした希望は、問題になる前に確認しておくほうがよい。何しろ、半年にわたってどんな話しかけにも歓迎するかのように応じてきたのなら、頻繁に話しかけてくる同僚は、自分の行動に何か問題があるとは思いもしないだろう。
小さな苛立ちは個人的な不信感や偏見に変わる
オフィスを共有していて少し奇妙に感じるのは、些細な意見の違いが、相手への評価にあっという間に影響し始めることだ。窓を開けたがる同僚は、仕事上のほかの面では寛大で思慮深く、まったく道理の通った人物だったとしても、頭の中では次第に「配慮の足りない人」になっていく。大きな声で電話をかける同僚は、自分の声がどこまで届くか単に気づいていないだけかもしれないのに、「自己中心的な人」に見え始める。
危険なのは、繰り返される苛立ちによって、私たちがごく普通の行動を「人柄の表れ」として解釈してしまうことだ。「この人はもう少し暖かいオフィスが好みなのだ」と考える代わりに、「暖房を上げてばかりいるのは自己中心的だからだ」と結論づける。「この同僚は会話を楽しむ人なのだ」と理解する代わりに、「自分の時間を尊重していない」と決めつける。いったんそうした解釈が固まると、比較的無害な行動さえ、わざとやっているように感じられてくる。
帰属理論に関する研究では、人が他者の行動をどう説明するかが探られてきた。そこには、状況を見落とし、個人の性格に過度な重きを置きがちな傾向も含まれる。これは、仕事空間を共有するときに特に重要である。私たちは、自分がなぜ窓を閉めたいのか、なぜデスクで電話をするのか、なぜ自分にとって望ましい作業環境が妥当なのかをよく理解している。だが、向かいに座る相手について、同じくらい詳しく理解していることはめったにない。
ときには、「一つのオフィスで全員の希望を同時に満たすことはできない」と割り切ることが最善の解決策になる。ある人は背景音楽があるほうが集中できるが、別の人にとっては気が散る原因になる。ある人にとって快適な温度が、同室の相手にはカーディガンを羽織らざるを得ない寒さだったりする。妥協は欠かせない。ただし、いつも同じ人ばかりが譲る形になってはならない。


