ドイツ・ロマンティック街道をたどった後、しばらく行くとネッカー川に行き当たる。石橋をわたるや古城のような建物と滴る緑に魅了される。ハイデルベルク大学だ。戯曲「アルト・ハイデルベルク」で演じられる近世の学生生活が蘇ったようである。
この劇では学生たちの青春の喜びと返り来ぬ若さの輝きが描かれているが、日本の大学の現状に目をやると慄然とする。たまたま、私が四半世紀前に連載していたエッセイが出てきた。そこでは「大学改革は、現在の日本の緊急課題の一つである。大学全入時代の到来、プロ教育へのニーズの高まりを前にいよいよ大学や教官の大競争時代に入る」と指摘していた。国立大学の現役教員としての実感だった。
その後、文部科学省を中心にさまざまな改革が断行されてきた。2004年の国立大学法人化を皮切りに、運営費交付金の削減と外部資金の取り込み、教員の兼職緩和、入試制度変更など枚挙に暇がない。果たしてそれらの実は上がってきたのか。ここで主要なデータを見ておきたい。
大学進学対象とされる18歳人口は、30年前の約180万人が100万人強への激減である。半面で大学数は約550校から812校へ著増している。進学率が3割から6割へと倍近くになったからだ。ここまでは何とか帳尻が合う。それに女子学生が大きく増加した点は時代の要請にかなっている。しかし問題はここから先だ。少子高齢化はますます進む。すでに経営難に陥った大学の淘汰再編が日常茶飯事になりつつある。過去30年で増加した大学はほとんどが私立大学だ。今やその数は624校に上り、総学生数の3分の2、約220万人を占めている。大学問題では、私立大学が特に深刻だ。
大学生が増えたことは一見結構なことに思えるものの、日本中の大学はどこも同じような教育を施している。デジタル化やサステナビリティなどを意識した新設学部が目立つが、中身をよく見ると果たしてどこまで有用な科目があるのか、疑問に感じることも少なくない。金太郎飴のような大学ばかり増える。
次に、国立大学法人である。鳴り物入りで導入された法人化は、確かに大学の自由度を促進した。産学連携が飛躍的に伸び、社会に開かれたキャンパスになった。大学教員がスタートアップの経営者を兼任することも珍しくない。他方で国からのお金である運営費交付金は激減した。法人化当初の1兆2300億円が直近では1兆971億円と1400億円の減少である。予算規模で見ると、名古屋大学や九州大学クラスが一校消滅した計算になる。私立大学では、天下の早稲田大でも事業規模は1100億円だ。公費を削り自分で稼げ、というのが法人化の目的のひとつなので、各大学は必死にお金をかき集める。私の母校からも寄付の懇情が引きも切らない。
大学人の大半は、ビジネスではなく研究・教育に携わりたいという人材である。そんな彼らにお金集めを強いるのだから、大学の本業であるはずの研究等に支障を来たしてもおかしくない。



