その原因の一つは、人類が人間性を失っていることだ。我々の他人や自然に対する付き合い方は、人間らしくなくなってきた。ここ数十年の間、貧困の撲滅について一定の成果を挙げてきたとはいえ、貧困や苦痛とは今も隣合わせにあり、経済成長に対する期待のみが膨らむ。しかし、経済成長というのは常に新たなギャップを生み、短期的な視点に立って推し進める傾向がある。環境汚染によって人間生活が脅かされ、不公平な富の分配と不正が広がりをみせていく。
パリで開催された気候変動に関する国際会議COP21の成果は何かしらあるとしても、ごくわずかなものになるだろう。それより我々が今すぐにでも考えなければならないのは、「人類がこれからどこへ向かい、次世代に何を残していけるのか」ということだ。この問いに答えるのは至難の業だが、私がここで一つ言えるのは、確かに人類の発展に経済成長は欠かせないが、これまで各国の政治家や世界のリーダーがGDPに固執しすぎた末、私たちに有害な結果をもたらしているという教訓だ。
ジョン・F・ケネディ大統領の弟で1968年に暗殺されたロバート・ケネディ氏は、同年3月にカンザス大学で学生たちにこう語りかけた。「アメリカの国民総生産(GNP)について考えてみよう。それは大気汚染やタバコの広告であり、犯罪者が民家に押し入ったり刑務所から脱走するための特別な鍵であり、自然破壊であり・・・子どもにおもちゃを売るための暴力的なテレビコマーシャルなど、実に様々なものがある」。
「しかし、GNPには子どもたちの健康や、教育の平等、遊びの喜びはカウントされない。結婚の素晴らしさや、公共における知的な議論や、公務員の高潔さも含まない。GNPによって知性や勇気、ひらめきや学習能力、思いやりや国を想う気持ちを測ることはできない。GNPによって、私たちの人生を本当に豊かにしてくれるものは何も測ることができないのだ」。
都留重人(1912-2006)は、戦後日本の奇跡的な経済復興を真っ向から批判した数少ない経済学者だ。戦後の高度経済成長によって、日本は確かに輝かしい復興を成し遂げたが、一方で水俣病などに代表されるような重大な環境汚染を引き起こし、人間の生命を犠牲にしたものであったことを忘れてはならない。日本のその当時の光景は、今日の中国で起こっていることと酷似している。都留氏はGDPを”gross domestic pollution(国内総汚染)”として批判した。
都留氏は人間に対してだけでなく、文化や自然に対する有害性についても強調し、とりわけ瀬戸内海の環境破壊と公害に着目した。同氏によると、日本政府は瀬戸内海を「日本の自然世界の美を象徴し、海洋資源に恵まれた日本の宝」であると認めていたにも関わらず、不当な産業開発の波によって瀬戸内海は破壊されていった。1970年代まで、瀬戸内海は「日本の鉄生産の53%、製油施設の40%、石油精製の35%、銅精製の63%、鉛精製の76%」を担うようになったという。瀬戸内海だけで、産業生産能力がイギリス一国のそれを上回る状況だった。日本における環境破壊はその後も数十年にわたり続いた。Alex Lerr氏が書いた ”Dogs And Demons: Tales From The Dark Side Of Japan (2001)”に詳しい。
都留氏は「かつて日本の自然美の象徴として国の誇りであった地域が、今や環境破壊による問題で埋め尽くされてしまった」と語った。その指摘のように、日本は戦後の高度経済成長を優先させるあまり環境を破壊し、日本の美しい風景を犠牲にした。経済成長は今の世代には恩恵をもたらしたかもしれないが、未来の世代にとっては本当の意味での豊かさを残すことができずにいる。
人類は今すぐにでもGDP至上主義を断たねばならない。これはとりわけ、環境や人体に対する汚染が急速に広まっているアジアの国々に当てはまる。中国で化学物質による河川の汚染では死者が出る状況にまで発展しているし、シンガポールでもインドネシアから漂うスモッグにより健康被害が出ている。アジア各国の環境に対する取り組みは、43億人のアジア人口だけでなく、地球上で暮らすすべての人々の生活にインパクトを及ぼす。一刻も早くGDPの呪縛から抜け出すことが求められている。