リーダーシップ開発において、エグゼクティブ・プレゼンス(存在感)、自信に満ちたコミュニケーション、戦略的思考、ネットワーキング、場の掌握力といった「目に見える側面」がますます重視されるようになっている。これらはどれも貴重な能力だが、開発プログラムが「外見的にリーダーらしく見えるか」に偏りすぎると、リーダーシップの信頼性を内面から支える本質を見失う危険性がある。
リーダーシップとは、単に学んで実演できる一連の行動ではない。効果的なリーダーはしばしば、自分がどのようにリードしているか、なぜそのようにリードするのか、そして自分のリーダーシップが他者にどのような影響を与えているかを理解するだけの自己認識を育んできた人たちである。
オーセンティシティ:「自分らしくある」以上のもの
私たちはリーダーに対して「オーセンティック(本物)であれ」と語りがちだが、オーセンティシティはしばしば単純化されすぎている。それは、思ったことをすべて口にすることでも、自分のあらゆる部分をさらけ出すことでも、適応することを拒むことでもない。リーダーシップには判断が求められ、効果的なリーダーは聞き手を理解し、多様な人格に対応し、状況に応じてコミュニケーションを調整しなければならない。
オーセンティシティとは、何を変えるべきで、何を揺るがせずに保つべきかを理解することだ。リーダーは、自らのリーダーシップを形づくる価値観を手放すことなく、より戦略的になり、コミュニケーションを改善し、より大きな責任を引き受けることができる。したがってオーセンティシティとは、完全な透明性というよりも、価値観、意思決定、行動の整合性の問題である。
成長が模倣に変わるとき
新進のリーダーは、リーダーシップとはどう見えるべきかについてのメッセージを頻繁に受け取る。より権威を持って話すこと、より洗練されること、自信を示すこと、エグゼクティブ・プレゼンスを高めることを促される。問題は、成長が模倣に変わるときに起きる。
親しみやすさによって強固な人間関係を築いてきた人が、近づきやすさが自らの権威を弱めていると感じ始めるかもしれない。話す前に自然に耳を傾ける人が、部屋の中でもっとも発言する人にならなければならないと感じるかもしれない。協働的なリーダーが、より指示的スタイルの方がエグゼクティブらしいと見なされるがゆえに、指示型に変わるかもしれない。リーダーシップを示そうとするうちに、そもそも他者から信頼を得ていた資質そのものを疑い始めてしまうことがあるのだ。
リーダーシップ開発は、その人がリードする力を広げるものであるべきで、自分にとって違和感のある人格を身につけることを求めるものであってはならない。より効果的にリードする方法を学ぶことと、リーダーを演じる方法を学ぶことの間には、大きな違いがある。
リーダーシップ開発にアイデンティティをどう組み込むか
組織はリーダーに「何をすべきか」を教えることに多大な時間を費やしているが、開発は「リードするときに自分は誰であるか」を理解する助けともなるべきである。そのためには、より深い問いが必要となる。「どのような経験が、自分のリードの仕方を形づくったのか。譲れない価値観は何か。プレッシャー下でどう反応するのか。誰かが自分の権威に挑戦してきたときに何が起きるのか。自分と働く人たちは何を経験するのか。自分の盲点はどこにあるのか」
これらの問いは、リーダーが意思決定を行い、対立を管理し、信頼を築き、権威を行使する方法に実践的な意味を持つ。リーダーシップ・アイデンティティは経験を通じて育つが、経験だけで成長が保証されるわけではない。コーチング、メンタリング、フィードバック、内省は、リーダーが自分の行動パターンを認識し、そのパターンが他者にどう影響しているかを理解する助けになる。
もっとも重要なリーダーシップの教訓のいくつかは、難しい会話、失敗したイニシアチブ、うまくいかなかった決断、あるいは耳の痛いフィードバックのあとに立ち現れる。そうした経験は、リーダーが何が起きたのかを検証し、それが自らのリーダーシップについて何を明らかにしているかを理解し、今後に何を持ち越すかを見定めるとき、成長の糧となる。
オーセンティシティに成長の余地を残すべき理由
オーセンティシティを、キャリアを通じてまったく同じままでいることと混同してはならない。リーダーは成長するべきであり、より大きな責任には新たな能力が求められる。小さなチームを率いる方法が、組織全体を率いる方法である必要は必ずしもない。リーダーは、より決断力を持ち、より戦略的になり、権限委譲に慣れ、不完全な情報のもとで意思決定する意欲を持つ必要があるかもしれない。
重要なのは、その変化が意図的なものなのか、それとも他者がリーダーに期待していると自分が信じる人物像へと、徐々に変わっているだけなのかという問いである。自らのリーダーシップを発展させることと、その過程で自分を見失うことには違いがある。オーセンティシティは、リーダーが、自分は何者で、何を大切にし、何を掲げているのかについての連続性を保ちながら進化することを可能にする。
エグゼクティブ・プレゼンスを再考する
組織は、エグゼクティブ・プレゼンスをどう定義するかについても再考すべきだ。それはしばしば、自信、洗練、権威、カリスマ性と結びつけられる。そうした資質は有効性に寄与し得るが、信頼に足るリーダーシップの狭い定義になってはならない。
効果的なリーダーの中には、静かで思慮深い人もいる。答えるより多く問う人もいる。彼らに共通するのは、特定の人格やコミュニケーション・スタイルではなく、信頼性である。彼らの行動は価値観と一致し、行動が言葉を裏づけ、周囲は彼らに何を期待できるかを理解している。
より意味のあるエグゼクティブ・プレゼンスとは、権威を演じることではない。自分のリーダーシップについて十分な明確さと自信を育み、その場にいる資格があることを常に証明し続けなくてもよい状態になることである。
コピーをつくらずにリーダーを育てる
組織はコミュニケーション、戦略的思考、交渉、対立管理、意思決定への投資を続けるべきだが、それらの能力はリーダーシップ・アイデンティティと並行して開発されるべきである。意味のあるリーダーシップ開発は、自分と働く人たちに何を経験してほしいのか、自らの価値観がどのように意思決定に影響するのか、そして状況が困難になったときに自らのリーダーシップに何が起きるのかを理解する助けとなるべきだ。
目標は、同じように話し、同じ人格を持ち、同じバージョンのエグゼクティブ・プレゼンスを示すリーダーを量産することではない。リーダーシップは究極的には人間関係を通じて経験される。人々は、リーダーが何かうまくいかなかったときにどう対応するか、意見を異にする人々にどう接するか、耳を傾け責任を取るか、意思決定が自ら口にする価値観を反映しているかどうかを通じて、リーダーへの認識を形成する。
リーダーシップ開発の次の進化は、あらかじめ定められたリーダー像に人を当てはめることを教えるのを超え、自分らしいやり方で効果的にリードするための自己認識、判断力、スキル、そして自信を育むことを助けることにあるのかもしれない。
「リーダーらしく振る舞う方法」を知っている人は、これ以上必要ない。私たちに必要なのは、リードするときに「自分自身が何者であるか」を理解している人たちなのだ。



