ラグジュアリーとマウンティング 程よい距離の取り方とは

鈴木 奈央
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その数カ月後、イタリア共産党など自分が支持する左派グループに属する知識人数名がこのデザインよりも、当時イタリア職人がアラブの富豪に作っていたベッド(丸型で大理石の台座の上にウォーターマットレスがひかれ、ムラノガラス製のランプがついているようなベッド)の方が好きだと何回も宣言していることをマーリは知ります。

「小売店の理由は飲み込めても、私が賛同する理想を掲げる人たちが最も堕落した商品を崇拝していることは受け入れられない。それで多くの人の風習や習慣に影響を与えることができるだろうか」

そう嘆いたマーリは、一般の人々が自分の手で家具を作るという物質的な体験をもっと積めば、良いデザインについての理解が広まるかもしれないと考えます。また同時に、そのための道具や技術的な知識が十分に浸透していないことも問題視しました。

Enzo Mari In His Study(Photo by Adriano Alecchi/Mondadori via Getty Images)
Enzo Mari In His Study(Photo by Adriano Alecchi/Mondadori via Getty Images)

この苦い経験のあとすぐに、マーリはテーブル、椅子、棚、ベッドなどの19の家具のモデルを作ります。これらを写真に収め、それぞれの図面と材料の詳細などをまとめたカタログを展示会で披露し、郵送料を払ってくれれば誰にでも無償でこのカタログを提供すると発表しました。それがAutoprogettazioneです。

今でも大学やデザイン誌で取り上げられたり、若いデザイナーたちのインスピレーションとなっているAutoprogettazioneですが、私はこのエピソードからマーリの傲慢さを感じました。売れないことを受け手の趣味の悪さのせいにしたり、Autoprogettazioneによって大衆を教育しようとする意図は「マウンティング」だと思いました。つまり私にとって彼の姿勢が「鼻についた」のです。

しかし、そのAutoprogettazioneの展示されているエリアを離れ、より後期の作品やミュージアム独自の追加企画として展示されていたロンドンのデザイナーたちによるオマージュ作品たちを見ているうちに、その当時の意図や背景はどうであれ、Autoprogettazioneは詩的で価値ある試みだと思うに至りました。安西さんの表現をお借りすれば、一旦「席を立つ」ことで、このプロジェクトの面白さや意義を広い目で見ることができたのです。

マーリがAutoprogettazioneを作るに至ったのも、結果的とはいえ、売れるか売れないかというせめぎ合いから席を外したことにあるように思います。ここで戦っても何も変わらない、と見切りをつけたのかもしれませんし、大衆側に希望を見出したのかもしれません。しかしこの出来事が、マーリのその後の活動を「物を作る人の尊厳」に向かわせ、マーリ自身を今日も影響力ある存在にさせたというのは間違いありません。

鼻につく何かに出会ったときというのは、物事を捉え直し、価値を再発見できるチャンスということかもしれませんね。これからマウンティングされたと思ったら、「よし来た!」と喜んで席を立って、遠くからその光景を見渡してみようと思います。

前半=安西洋之 後半=前澤知美

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ポストラグジュアリー -360度の風景-

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