M-1王者を「笑いの頂点」に。お笑い界のルールを変えた会社員

田中友梨
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1603人を勝ち抜いた第1回の優勝者は?

記者会見が終わり、8月11日から出場者のエントリーが始まった。当時の応募資格は、「コンビ結成10年以内の漫才師。プロ・アマ、所属事務所は問わない」。

ただ、出場者は思うように集まらなかった。「賞金1000万円です」と呼びかけても「ドッキリでは」と誤解され、なかなか応募してくれない若手芸人もいた。

「例えば、すでに他で新人賞を獲得していた中川家からはいつまでたってもエントリーがなく、私が直接会いに行って予選に出てくれと頼みました。渋々出てくれたのでしょう、M-1は全参加者から平等にエントリーフィーを2000円徴収するルールなのですが、彼らは予選の受付で『俺たちからも2000円とるのか』とぼやいていたと聞きました」

最終的に参加者は1603組に及んだ。4度の予選をくぐり抜けて決勝に進出した芸人は、中川家、麒麟、フットボールアワーなど全10組。当初は吉本興業が主催する賞レースということで、他事務所からは「贔屓があるのでは」と訝しがられていたが、決勝には松竹芸能のますだおかだ、人力舎のおぎやはぎも勝ち上がった。

そして迎えた12月25日。クリスマスに行われた決勝で、第1回M-1グランプリの優勝を飾ったのは、中川家だった。

生放送の最後、スタッフロールには朝日放送の粋なはからいがあった。最初に「企画 島田紳助 谷良一」と出たほか、通常では載せないような現場スタッフの名前もクレジットされたのだ。

「事前になにも伝えられていなかったから本当に驚きました。漫才プロジェクトを立ち上げて半年間、ずっと一緒にやってくれた仲間たちで、彼らがいなければM-1は実現しなかったので」

漫才師志望者が急増

年が明けて2002年、吉本興業が運営する養成所「NSC(吉本総合芸能学院)」の校長が、谷のもとを訪ねてきた。聞けば、M-1の効果で入学希望者数が前年の3倍になったという。それだけでなく、そのうち95%が漫才師志望。まさに、漫才が再び盛り上がりつつあったのだ。

「M-1のおかげで漫才ってかっこええもんなんや、と世間の人にわかっていただけるようになりました。漫才プロジェクトを始めた時は、80年代初頭の漫才ブームぐらいの規模まではもっていきたいと思っていたのですが、現在はそれを完全に超えられましたね」

谷はその後、吉本興業制作営業統括本部副本部長に昇進。よしもとファンダンゴ、よしもとデベロップメンツの社長なども歴任し、2020年に退社した。M-1グランプリは、2010年の第10回で一度終了。2015年に復活し、出場資格が結成から15年以内に拡大された。谷は2010年までプロデューサーを務めた。
 

復活後の「M-1グランプリ2015」で優勝したトレンディエンジェル / Getty Images

「今振り返ると、プロジェクトは『継続こそ力』だなと思います。それと、楽天的で何の根拠もなく“できる”と思い込んでいることも大切ですね」


2023年11月に発売された谷良一の著書『M-1はじめました。』(東洋経済新報社)

文=矢吹博志 編集=田中友梨 撮影=小田光二

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