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2023.02.19 17:00

土壌学者が語る「土」を知れば政治経済から人工知能までわかる──北野唯我「未来の職業」ファイル

Forbes JAPAN編集部
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土壌学者の藤井一至さん

あらゆる職業を更新せよ!―既成の概念をぶち破り、従来の職業意識を変えることが、未来の社会を創造する。「道を究めるプロフェッショナル」たちは自らの仕事観を、いつ、なぜ、どのように変えようとするのか。『転職の思考法』などのベストセラーで「働く人への応援ソング」を執筆し続けている作家、北野唯我がナビゲートする。


北野唯我(以下、北野):なぜ研究者の道へ進み、さらに「土」という分野に関心をもたれたんですか?

藤井一至(以下、藤井):中学生のときは「将来、将棋指しになろう」と思っていたけれど、高校時代に全国大会へ行く手前の県大会決勝で5連敗したんです。結局、その相手は全国制覇しましたが、「自分は勝負の世界でプロになれないな」と。それで「自分の強みを精いっぱい生かせる道」として選んだのが土の研究です。

北野:どんな強みを生かせると?

藤井:僕は田舎出身だから、農家が毎日何をしているかなど知っているし、子ども時代には石にも詳しかった。だから、土が向いていると思って。

北野:研究者になってどうでしたか?

藤井:土はあまりにも科学のメスが入りにくいことに驚きました。土には多くの謎が残されていて、現代科学をもってしてもつくれない。僕が材料を3つほど組み合わせて「はい、土ができました!」と示せれば、土を理解できている証明です。物理学者のリチャード・ファインマンが「つくれていないということは、わかっていないということだ」と言いましたが、いまだに土のレシピはないんです。

ある土に適応した微生物が生き残り、その死骸が土になっていく。すると、以前とはまた違う土に変わる。さらにその土が、また新しい微生物を選んで……と永遠の相互作用が起きています。常に「創発現象」が起きている状態とも言えるわけですね。だからずっとワクワクして研究しています。

北野:藤井さんの著書が面白いのは、土の研究が「社会との接続」をもつところでした。例えば、食料問題です。

藤井:背景には、世界中で「肥沃な土」が平等に分配されていない事実があります。世界平均では1ヘクタール(100メートル四方)あたり3トンの穀物が取れます。アフリカだと1トンも取れないところがあるのに対し、日本は恵まれていて5トン収穫できる。ウクライナも「土の皇帝」と呼ばれるチェルノーゼムという肥沃な土があります。氷河期に北欧から風に乗って飛んできた土がちょうどあの辺りに堆積したので、世界のチェルノーゼムの3割がウクライナにあります。

北野:すごいですね!

藤井:それほど土が肥沃なのに「ヨーロッパ最貧国」とまでいわれ、いまはロシアに、昔はドイツにも狙われました。日本が満州に行ったのもチェルノーゼムがあったからです。黒ぼく土という固有の土があるのに、さらに耕しやすい土を求めた。人間社会や経済と接点があるがゆえに、恩恵も悲劇ももたらすのが、土です。

北野:日本の戦国時代も実質的には食料を得るため、つまり土を取る戦争でしたね。

藤井:ちょうど人口に対して土地が足りなくなってきたんですよ。だから新田開発をどんどんした。僕にとって、あの時代のリーダーは土木業者です(笑)。

北野:ところで、科学は常に進歩しているのに、食料危機が定期的に浮上するのはなぜですか?

藤井:大本の問題はマルサスの『人口論』あたりから続いています。人口は等比数列的、つまりネズミ算式に増えるのに対して、食料生産は等差数列的で、決まった量ずつしか増やせない。この100年で世界人口は5倍に増えましたが、土地の面積はここ数十年ずっと15億ヘクタールのまま。ちょうど100年前も同じことがいわれていましたが、そのときは化学肥料の発明というイノベーションによって危機を回避できました。

土地の面積が限られていても「窒素の壁」を突破できた。空気中の窒素を、化学的に固定することに成功したからです。おそらく窒素の次には「リンの壁」があります。水や燃料の問題もありますが、リンで人口が制限される時代が来るかもしれません。

北野:リンの原料は?

藤井:モロッコや中国のリン鉱石です。何千万年前のクジラの化石の量に人口が左右される。しかも、それを買うことができるのはお金持ちということになると、経済力で人口が決まってしまう。僕は食料生産や人口維持という重要な課題がクジラの化石、あるいは石油や石炭といった大昔の遺産に依存しきった状態は危険だと思います。「世界の食料問題を土から何とかしたい」という思いは、研究をすればするほど強まります。ちなみに、いまのアメリカで最大の農地を所有する人物を知っていますか?

北野:僕たちが知っている有名人ですか?

藤井:答えはビル・ゲイツ。彼は11万ヘクタールもの農地を買っているんですよ。「あいつは食料危機を見据えて水資源や土地を押さえている」と悪く言う人たちもいますが、手堅い投資先という面は否めません。食料は人間が将来にわたって、ずっと必要とするものですからね。ゲイツがやろうしていることで僕が面白いと感じるのは、例えば「フェイクミート(代替肉)」の開発です。世界中で消費されている肉を大豆に代えられたら、世界的な食料問題は簡単に解決するだろうと。そういう「いちばん効果的なポイント」を考えて、自らの農場で実験しているんですよ。

北野:天才すぎる(笑)。

藤井:ピーター・シンガーという哲学者は、ゲイツの立場を「効果的利他主義」と評しています。アフリカや将来の世界の何十億人を助けるのに最も効果的な手段として、石炭よりも土に着目していることは面白いです。

北野:そういった次元の取り組みはビル・ゲイツにしかできないから面白いですね。僕も「今後10年、20年をかけて解くべき問いは何か」を探している1年なんですが、本当に自分がやるべきところへフォーカスする彼の姿勢には刺激を受けました。サイエンスの意地を見せたい

北野:変化が見えづらいものを見る力って、すごく重要な気がするんです。仕事をするうえでも、大切なものは見えなかったりするじゃないですか。見えやすいものは、みんなが見るのでわかる。見えないものを見る力って、それこそ土の研究をやるとき絶対に重要ですよね。



藤井:ええ。微生物とは「見えないもの」が定義だから、目では見えていないものによって土はつくられています。1つずつ取り出し、どんな仕事をしているかを調べられたらいいですが、取り出した瞬間に死んでしまう。それが土の一番厄介なところで微生物の99%は取り出せないといわれています。だからこそ面白さもあるわけで。私は「土には知性がある」とよく言っています。土の中の細菌、カビ、キノコの機能が落ち葉を分解して土をつくるために最適化されていて、人工知能が将棋で示す最善手のようです。しかも、生物は進化する。いまのところ土のほうが人工知能よりよっぽど難しいことを「場当たり的に」ずっとやっている感じです。

北野:一見すると無縁なようでいながら、ビジネスパーソンも土の成り立ちを学ぶことには意義があると率直に思いました。

藤井:ビジネスでも、将棋でも、土の研究でも、「何がベストかわからない状態でひとつを選ばなくてはいけない状況」があるのは同じです。ある種、人間の社会は「創発」そのものなので、絶対に自分ひとりでコントロールできるものじゃない。土みたいなカオスなものに比べたら、社会はホモサピエンス1種類だから、もう少し理解しやすい―ちょっと皮肉めいた話ですが、そういう考え方もできるかなと。

北野
:なるほど(笑)。

藤井:そういう土ですが「どれだけ我々が環境を制御できるのか」に限界まで挑むこともできるはずです。



北野
:ビル・ゲイツ路線だ!

藤井:だから「土はつくれません」とおしまいにしてはいけない。人間がどれだけできるか、試すだけ試したい。それでダメならサイエンスには限界があるということも認め、「現状の農業のやり方をどうやってもっといいものにするか」という包括的なアプローチを選ぶ。人工的に土をつくる挑戦との合わせ技で、これから取り組みたいですね。


4億年かけて生まれた圧倒的なプロダクトに学ぶ


上野駅で電車から飛び降り、向かった先は「土」の展示。国立科学博物館で出会った少し変わった謙虚な研究者―それが藤井一至氏の印象だった。

「土って面白くて。1万種類、100億の微生物がスプーン1杯の中にいるんです」わずかそれだけの土に、世界の人口より多い微生物が共存している? 彼は続けた。「だから現在の科学の力でも、土の全容はまだ1%しかわかっていないんです。その証拠に土って、工場ではつくれないですよ」と。

確かに「科学した」と言えるのは、「工場でつくれる」ということだ。しかし、土はあまりに身近なのに、工場でつくれない。考えてみると不思議な話ではないだろうか?

私は『天才を殺す凡人』という本のなかで、科学の力、つまり「再現可能であること」の魅力と危うさを考察した。経営はサイエンスの要素も強い。一方で、アートやクラフトの要素がないサイエンス、つまり、自分で手を動かして失敗したことがない人の「サイエンス」ほど危ういものはないのも事実だ。簡単に言うと「頭でっかちな秀才ほど、組織のイノベーションや才能を殺すものはない」ということになる。

この話を「土」に当てはめると、非常に面白い。土とは、100億の微生物が生み出した最高の製品のひとつなのだ。だから安易にサイエンスしようとしてはいけない。そして、すべての動植物の源を生み出す工場でもある。映画『天空の城ラピュタ』のセリフにあるように、まさに、人は「土から離れては生きられないのよ」である。土という製品を生み出したのは、スプーン1杯の中にいる多様な微生物たちだ。

現代経営はダイバーシティの重要性が問われているが、多様性がある組織から生まれた商品は強い。そして、その理論をすでにこの世に証明しているのが、まさに「土」であった。よく肥えた畑にはミミズがいるが、彼らは有機物と無機物を食べ、排出する。それをひたすらに繰り返し続けて、ようやく土のかたちになっていく。地球上で費やされたその年月は、なんと4億年。

気の遠くなる時間をかけて圧倒的にクラフトした製品が「土」なのだ。そのプロセスがあまりに壮大すぎて、科学者は土を前にすると謙虚にならざるをえないのだろう。つまり、なにが言いたいか? それは、ラピュタで宮崎駿が描いたように、土を安易に汚染することは「天才を殺す凡人」の始まりなのかもしれない、という事実である。




Yuiga Kitano◎1987年、兵庫県生まれ。作家、ワンキャリア取締役CSO。神戸大学経営学部卒業。博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。ボストンコンサルティンググループを経て、2016年、ワンキャリアに参画。子会社の代表取締役、社外IT企業の戦略顧問などを兼務し、20年1月から現職。著書『転職の思考法』『天才を殺す凡人』『内定者への手紙』ほか。近著は『仕事の教科書』。

文=神吉弘邦 写真=桑嶋 維

この記事は 「Forbes JAPAN No.101 2023年1月号(2022/11/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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