グーグルやフェイスブックなど、世界を席巻する企業を次々に輩出するカリフォルニア州の「シリコンバレー」。いま、各国がテク系企業の集積地を複製しようと躍起になっているが、それは1980年代のアメリカも同じだった。全米の州政府が、減税や規制緩和を餌に有力なベンチャー企業を誘致する―。その構図はいまと変わらない。だがなぜ、シリコンバレーはいまも唯一無二なのだろうか?ヒントは、その「政府」にあるのかもしれない。行政の役割に注目した84年6月の記事をご紹介しよう。
1984年の春、冷たい雨が降るなか、ミシガン大学アナーバー校では、地元のテクノロジー企業を対象にしたシンポジウムの開幕晩餐会が大変な盛り上がりを見せている。「ミシガン州は、アメリカで最も経済成長が過小評価されている地域です。しかし、そのうちにシリコンバレーのように発展することでしょう!」
有名投資家のサンフォード・ロバートソンが、政治家や投資家からなる200名程の聴衆にそう語ると、熱狂的な拍手喝采が起こる。まさに、彼らが聞きたかった言葉だからである。
全米各地の都市が、地元生まれのテクノロジー系ベンチャー企業に投資を呼び込むために、何千万ドルもの資金を投じ、企業家や政府関係者、学者に協力を求めている。
テクノロジーは未来の潮流であり、公害を発生させることなく、雇用を創出し、教育水準の高い、高所得の働き手を呼び込むと考えられている。「問題」を起こさない成長―。そのアイデアは、州政府にとって魅力的なのだ。シリコンバレーと同じように成功している、ノースカロライナ州の「リサーチ・トライアングル」やマサチューセッツ州の「ルート128」に続く、新たな成長地域になるのが各都市の目的である。
ミシガン大学で開催されたようなベンチャー企業向けのシンポジウムは、ほとんど毎月のように全米各地で開かれている。州政府は大金を投じて、大学の研究を商品化するために財団を創設している。
例えば、次世代コンピューターの開発が期待されている20社の電機メーカーによる共同研究ベンチャー企業「マイクロエレクトロニクス・コンピューター・テクノロジー(MCC)」の誘致に、およそ50都市が手を挙げた。免税などの優遇措置を提示してMCCの誘致に成功したテキサス州オースティンは、すぐにも主要なテクノロジーの中心地になることだろう。
シリコンバレーが、こうした都市にとっての成功モデルになっている点は、驚くにはあたらない。そして、ほぼすべての地域が、成功の秘訣を知りたがっている。(中略)
簡単にマネできない「歴史の重み」
それではいったい、政府の役割とは何か?
それが皮肉なことに、政府はシリコンバレーの発展には間接的な役割以外には、ほとんど見るべき貢献をしていないのである。「どうやってシリコンバレーができたのかを知りたい人はみな、スタンフォード大学やヒューレット・パッカード、半導体の共同発明者であるロバート・ノイスについてばかり聞きたがる」と、業界団体「アメリカン・エレクトロニクス協会」のエドワード・フェリー会長は語る。「誰もが、自分たちがすぐにマネできそうなことについてばかり聞きたがります。ただ果たして、その場所の雰囲気をマネできるものでしょうか? お金をかけるだけで、70年の歴史を再現できるものなのでしょうか?」
フェリーはある意味正しい。確かにシリコンバレーは、ヒューレット・パッカードの本社があり、アメリカのハイテク工業団地の原型となったスタンフォード工業団地が創設された51年に爆発的な急成長を遂げた。
とはいえ、テクノロジーの中心地となったシリコンバレーの歴史は12年に、パロアルトのある家で、3人の科学者がぴんと張った紙の上をイエバエが歩くのを聞いて、クライストロン拡声管を発明したときまで遡さかのぼる。その後、無線電信技術の進歩が、今日の電気通信産業やコンピューター産業をつくり出したのである。その家の跡地には、「現代エレクトロニクス発祥の地」という記念碑がある。
気候や場所も無視できない要素だ。ノーベル賞を受賞したウィリアム・ショックレーは、ニュージャージーのベル研究所にいて、55年に同僚たちとトランジスタを発明した。ところが、ショックレーの故郷はパルアルトであったので、彼は57年にショックレー半導体研究所を創設するためにパロアルトに帰った。シリコンバレーの歴史をみると、フェアチャイルド・セミコンダクターやインテル、アドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)など、30社を超える半導体企業が創設されているが、すべてはショックレーのおかげなのである。
カリフォルニア州政府の「好プレー」
では、政府支援の役割はどうだろうか?
確かに、カリフォルニア州の政治家たちは78年に資本利得税を20%に削減し、ベンチャー企業への投資をより魅力的なものにした。ただ、それも実業家たちによる働きかけがあったからだ。言い換えれば、政治家が果たした役割は、邪魔しないように脇に退いたことだけなのである。(中略)
自然発生的な成長の例にはこと欠かない。ダラスでは、50年代以降、テキサス・インスツルメンツとロックウェルが、500社を超える中小企業を生み出している。ルート128では、マサチューセッツ工科大学(MIT)が、そのような会社の生みの親だ。ミネアポリスには、コントロール・データやハネウェル、その子会社が集まっている。
地域振興を積極的に応援している人々は、「民間主導が最も望ましい」と認めつつも、「スピードアップを図るために、政府が果たせる役割もある」と主張する。実際、この考えを立証する証拠もある。スタンフォード工業団地が産学連携の産物であったように、50年代に開始されたリサーチ・トライアングルは、政府とノー年に創設されたバージニア州の「革新的テクノロジー・センター」は、州内の主要な研究大スカロライナ州にある3つの大学の間のジョイントベンチャーとして始められている。(中略)
問題は、これらの州政府の努力が「ゼロ・サム・ゲーム」であるという点だ。「他州の取り組みには敬意を表したい」と、サリーは言う。「もっとも、他州に企業が行くということは、私たちの州には来ないということです」
州内での競争もある。MCCの誘致では、オースティンに敗れたのを受けて、ダラスのスターク・テイラー市長が、「今後どうすれば、ダラスはMCC発のベンチャー企業を誘致できるか」についての研究を委託している。
冒頭のロバートソンはシリコンバレーに戻ると、故郷ミシガン州での楽観的な発言とは打って変わって、「ミシガン州は発展を急ぎすぎている」と明かす。「シリコンバレーのような成長は、すぐに実現するものではありません。『可能』だとは言いました。でも、決して『簡単』だとは言っていませんよ」