答えは「笑いの日」。政府が制定した記念日ではなく、吉本興業が仕掛けたものだ。「…なんだ、企業の宣伝か」と思ってドン引きする前に、8月が終わる今、「笑いの日はなぜ話題にならなかったのか」に注目してみたい。
8月8日を「笑いの日」にするという発表は急だった。わずか一か月前の7月に、東京・新宿のお笑い劇場「ルミネtheよしもと」で記者会見が行われ、吉本の芸人を代表して西川きよしがこう宣言した。
「8月8日は、友達を笑わせてみよう。家族を笑わせてみよう。お笑いライブを観に行こう。ついでに、お笑い芸人もやってみよう。その日は一日中、みんなで笑って過ごす日です!」。そして西川は「人類史上、どこの国もやったことのない類まれな取り組み」と説明した。
ここで報道陣から冷静な質問が飛んだ。「なぜ8月8日なんですか」、至極まっとうな問いである。
西川はこう返した、「難しく考えてないねん。確か、笑いの“ハッハ”の語呂にあわせただけやないですか。そのうち、国民の祝日になるかもしれんよ(笑)」。
案の定、8月8日当日、テレビで芸人たちが一日中バカ騒ぎを繰り広げたかというと、もちろんそんなことはなく、メディアも「笑いの日」を盛り立てたわけではなかった。では、「笑いの日」は失敗だったかというと、それも違う。
そもそもテレビを使った「つくられた笑い」のイベントを望んでいる人は、今の時代、ほとんどいないだろう。それは吉本興業も同様のはずだ。なぜならフォーブス ジャパンはこれまで何度か吉本興業の大﨑洋社長にインタビューを行っているが、大﨑はこんなことを口にしたことがある。
「マーケティングでは明石家さんまやダウンタウンは生まれません。必要なのは、装置としての『場』なのです」
大﨑の思想の根本には、1980年代、彼が社員時代に手掛けた「心斎橋筋二丁目劇場」の体験がある。「アンチ吉本、アンチ花月」を旗印に、「(吉本の本流である)花月の大舞台ではやれへん、ここでしかできへんことをやろうや」と大崎たちが始めたもので、ダウンタウン、今田耕司、千原兄弟など若いタレントを輩出した。
この小さな劇場の醍醐味は、そのボルテージだった。照明、衣装、芸人、チケット窓口、舞台に関わるすべての若者が情熱を注げる「場」。この「場」に才能が集まり、小さな劇場から芸が芽生えていった。
「高視聴率を目指す、資本主義的なとんがった笑いとはまったく異なる、もっと身近な、シンパシーとしての笑いもあります。吉本興業としてはその両方を手掛けていきたい」
そう語る大﨑が、2010年の暮れに思いついたのが、翌年スタートした「あなたの街に“住みます”プロジェクト」だ。47都道府県に芸人を定住させる「住みます芸人」である。スタートする直前に東日本大震災が発生し、「地域のために頑張る」という言葉がより重みを増した。