Exclusive Interview

2017.11.27

藤村龍至氏 イノベーションを起こす都市設計、空間設計
第1回 都市設計に必要な、既存の街とのインタラクション

東京藝術大学美術学部建築科准教授 RFA主宰
藤村龍至(ふじむら りゅうじ)氏
建築家・ソーシャルアーキテクト。東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。2005年より藤村龍至建築設計事務所(現RFA)主宰。2010年より東洋大学専任講師。2016年より東京藝術大学准教授。

建築設計や教育、批評活動に加え、住民参加型のシティマネジメントにも携わる藤村龍至氏。プロセスをオープンにした設計にこだわる藤村氏に、イノベーションやコミュニティが醸成される都市設計や空間設計について語っていただきました。


独自の発展を遂げた東京の都市開発

日本の巨大開発の歴史に興味があって、ずっと調べています。1968年に竣工した霞が関ビルでアメリカ型の超高層、スーパーブロック(大街区)、人工地盤などの手法が導入され、その後、新宿副都心を経て、多様に発展していきました。例えば、サンシャインシティのように駅から少し離れた場所に街をつくるコンセプトが出てきたり、アークヒルズのように既成市街地の中に街をつくったり。あるいは、天王洲アイルや恵比寿ガーデンプレイスのような、イメージをつくるような再開発もでてきています。
東京の巨大開発にいくつかの系譜があり、それぞれ独得の発展の仕方をしています。スーパーブロック型ですと、霞ヶ関、新宿、そして汐留で完成した感があります。地下鉄の駅があり、その上に地下道が通り、地上の上にはペデストリアンデッキがあり、さらにその上をゆりかもめが通るという5層の立体ネットワーク基盤は驚異的と言えます。他方、丸の内のように各ビルが低層部の高さを31mにそろえ、その上にハイライズを建てて高度利用していくやり方もあります。それぞれの街の個性を活かしながら、開発の形式をつくっているのが東京の特徴と言えます。
最近では、駅直結の商業施設の上にホールがあり、さらにその上にオフィスがあり、容積率が1200%とか1600%といったハイパーコンプレックスが登場しています。渋谷ヒカリエやあべのハルカスもそうですが、周りにほとんど余地を取らずに真っ直ぐ積み上げる開発をしているのは、世界中を探しても日本だけです。これは、霞が関ビル以来、日本の不動産・建築界が積み上げてきた都市開発技術による一つのプロダクトだと思います。そういう意味では、建築的に見ると、世界の中で東京というのは、巨大で複雑な、特殊な建築物をつくってきた街と言えます。

初期のハイライズ(高層建築物)は、オフィス以外は展望レストランがあるくらいで、基本的には非常に限定された機能でした。しかし、最近のハイライズは、まさに「街」をつくるので、ものすごい交通量になります。人も大量に移動しますが、ゴミも含めたさまざまなロジスティクスが発生していて、当初に比べると、とてつもなく複雑なことが起きています。そういう独得の立体都市をつくりあげてきたのが東京の特徴ではないかと思います。


欧米はフォーマルな空間、日本はくつろげる空間

海外を見ると、例えばヨーロッパの超高層ビルは、カテドラル(大聖堂)のような建てられ方をしています。いわゆる「タワー&プラザ」という形式で、目の前に象徴的な広場があり、その奥にビルがシンボリックにそびえ立っているイメージです。日本でも、当初は設計に携わった人々が海外の事例に刺激されて、例えばヨーロッパ型の広場を真似てみたり、アメリカでガーデンアトリウムが流行ると、すぐにそれをコピーしてみたりするような時期がありましたが、世代を重ねるごとに少しずつ成熟してきて、日本的な広場の型を設計できるようになっていきました。日本的な広場とは、小ぶりな広場が数珠つなぎになっていて、屋台のようなフードコートが立ち並び、人々がリラックスできるような場所です。現在は、ヨーロッパのように真ん中に象徴的な大きな広場があるよりも、小さな広場が点在しているようなところが多いように思います。例えば天王洲アイルなら、アトリウムがある初期の“キメキメ”の空間よりも、オフィスがたくさん建っているエリアに小さな広場が点在していて、昼になるといろいろな弁当屋さんが出て、たくさんの人が散らばってランチを取っている風景が、日本的だなと思います。

日本の都市には、日本的な独得の身体感覚と共に発展しているところがあります。端的に言えば、広場で飲み食いするような場所です。上野公園に行くと、いつも屋台が出て人々が飲み食いしていますよね。ヨーロッパの劇場型空間というよりは、縁日っぽい。欧米における広場はパブリックスペースで、人前だから襟を正して、きちんと振る舞う場所というイメージです。オープンカフェはあっても、それはレストランの延長で、よそ行きの格好をして行くフォーマルな場所という感じですよね。日本の場合はもっとくつろいでいて、生活の延長上にあって大衆的な感じがします。


大規模開発は街のあり方を変える

常盤橋プロジェクトは延床面積が68万平米もあるので、ものすごい数の人が移動することによって、新しい動きが起こると思います。建築家のレム・コールハースが「ビッグネス」という概念を提示していますが、建物が余りにも大きく、建物自体が「街」になるため、既存の街のコンテクストに合わせた建物をつくるという考え方が成立しません。例えば、1997年にJR京都駅ができて以降、JRがステーションシティを全国に展開した結果、駅に何十万平米もの床ができたことによって、いろいろなものが駅に吸収されてしまい、都市構造を変えてしまいました。このように、巨大なビルが街を変えてしまうというのは日本の都市の面白さでもあります。

巨大開発からは、副次的な効果も生まれます。2002〜03年に六本木や丸の内が再開発された際に、オフィス床面積が大量に供給されることによる「2003年問題」が指摘されました。その際は、神田や東日本橋などで局所的にオフィスビルの空室率が高まり、建築家の馬場正尊さんたちが手がけた「セントラル・イースト・トーキョー」のように、リノベーションをしながら古いオフィスビルを活用していく動きが生まれ、その後全国に波及しました。こうして生まれた新しいクリエイティブなカルチャーが、また次の開発にフィードバックされる。そういう大きな動きと小さな動きの関係が、新しい都市空間をつくり出しているのだと思います。


大規模開発と既存の街とのインタラクション

大規模開発の魅力は、既存の街の魅力とセットで評価されると思います。ひとつの新規開発そのものが全ての魅力をつくるのではなく、足もとに面白い街があるとか、ちょっと行ったところにローカルの店がいっぱいあるとか、そういうことがとても大事になる。

常盤橋プロジェクトのような大規模開発の場合も、68万平米もの新たな空間を利用する人たちが集まってくることによって、既存の街との間に新たな関係が生まれるはずです。近隣の外神田や内神田の辺りでは、2000年代のオフィスの空洞化に端を発して、コミュニティをもう一度強化しようという動きが起きています。最近も、神田警察通りを利用した大々的な社会実験が行われています。こうした周辺地域の動きと、この常盤橋のビッグプロジェクトがどのような関係を築いていくのか、とても興味があります。

例えば上海では、既存の街区を保存して、ローカリティを楽しめるようになっています。私が関わっている大宮の駅前は、再開発がずっと遅れていて細い路地がたくさんあるんですが、そこを本当にクリアランスしていいのか、という議論がずっとあります。もし合意形成に失敗して、再開発できなくなったら、それはそれでひとつのあり方かなと思います。大宮の魅力は残りますし、大宮にとっては、それが適正なボリュームかもしれないからです。ただし、利便性や安全性の確保は大事なことです。大宮駅はピーク時に3万人集まりますが、もし電車が全て止まった時、その人たちを安全に外に出せるのか、といったさまざまな問題があります。それを考えると、一定の開発はやむを得ないと思います。ただ、それが街にどういう影響を与えるか。新しくできる街と既存の街との間にインタラクションは起こるのか、といったことはアーバンデザインにおいて最も考えなければいけないことだと思います。


地域の歴史的文脈をどう活かすか

街の魅力の一つである、歴史的文脈をどう味方につけるかも、街づくりや再開発を考える上で大切なポイントです。私が街づくりに関わっている愛知県岡崎市は、徳川家康が幼少期を過ごした場所ですが、街が空襲で焼けたこともあり、その歴史をうまく引き出せておらず、苦慮しています。地元の皆さんに会議でライバルはどこですか聞いたら金沢や倉敷だとおっしゃいますが、岡崎に対する外からのイメージとの間にはまだギャップがあると思います。道路や公園を整備するのに合わせて、埋もれてしまっている歴史を掘り起こしていく取り組みをやっています。

高校時代に通っていた埼玉県川越市は、今は蔵の街としてとても賑わっていますが、私が高校生だった頃は今に比べると静かな商店街でした。活性化に成功した秘訣は、活動の仕方にあったと思います。地元の人たちは、単に文化財である蔵を守ろうとするのではなく、まず商業を活性化させ、その収益を景観に再投資するという方法をとりました。一般的な文化財保存の考え方だと、例えば蔵の門構えに格子や建具が使われていたら、そのまま保存しなければいけないということになります。しかし、川越の場合は、商業的に見てガラス張りにした方が良ければ、積極的にそうするんです。今風のオープンな店構えにして、それで収益が増えたら、その分で看板や屋根を直していくようにしたところ、だんだん街が復活していきました。近くの所沢市にも、川越と同様に蔵造りの商店が多少残っている通りがあったんですが、全てマンションにしてしまいました。“小江戸”のイメージづくりに成功した川越に対して、所沢は固有性を失ってしまったようなところがあり、イメージづくりの面では大きな差がついてしまいました。

景観は、外部経済を生むものになっています。その街にふさわしい景観のあり方を定め、守ることで、そこに人が集まり、投資も集まるようになってきています。街づくりにおいて、歴史や景観には大きな投資価値があることがだんだんと認知されてきましたね。