ドミニク・チェン × 渡邉康太郎 × 水口哲也テクノロジーによって
未来のクリエイティビティはどう変わるのか

Santos Man Special Intaview #3

創造的とはどういうことか。昨今のめまぐるしい技術革新は、人間の創造行為にどんな影響を及ぼすのだろうか。いずれもマルチな才能を発揮する、メディアクリエイターの水口哲也、情報学研究者のドミニク・チェン、コンテクストデザイナーの渡邉康太郎が、2つのテーマをもとに、談論風発を繰り広げた鼎談第2回をお届けする。

枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け

水口哲也(以下、水口)クリエイティビティを定義すれば、「ゼロからイチをつくり上げること」に尽きると思います。究極のクリエイティビティは、この世をつくった創造主に宿っています。英語圏では「クリエイター」という言葉を使うときは、結構慎重になりますね。創造主を指す言葉ですから、軽はずみには口にできないという雰囲気があります。

ドミニク・チェン(以下、ドミニク)創造性とは何かを考える場合、土地ごとの気候風土、さらには宗教の違いによって考え方が異なるということですね。確かに、砂漠地帯のパレスチナで生まれた一神教の神と、アジアの深い森の中で生まれた多神教の神は性格がまるで違います。水が乏しく、灼熱の暑さに苦しめられる砂漠では、その都度リーダーが下す判断が重要で、その後に従う集団の生死を分けてしまう。結果、自然に強いリーダーが生まれる。その姿に似せて神もつくられるわけです。一方、生命に満ちあふれた森の中では切羽詰まった判断が不要で、地面に腰を下ろして瞑想にふける余裕もあります。砂漠の民が奉じる唯一神というよりは、多様な神々が生まれて当然でしょうね。だから、アジア的なクリエイティビティというものは、相互に依存しあう自律的なプロセスの関係性を指すのだと思います。

渡邉康太郎(以下、渡邉)クリエイティビティは、つくり手の技能と同じくらい、受け手の目線や態度が重要です。江戸時代の思想家、三浦梅園の言葉に「枯れ木に花咲くを驚くより生木に花咲くを驚け」があります。枯れた木に花が咲いたら誰でも驚くでしょう。でもより驚くべきは、普段は当たり前のものとして見過ごしている、生きた木に花が咲くことのほうだ、というわけです。「当たり前の再発見」の目を持つ。このとき創造性は生木に宿っているのか、それとも木を見て感動する人間のほうにあるのか。私は両者の中間にあるのだと思います。例えば読書という行為も同じで、素晴らしい本というのは著者の作品というきっかけに始まり、読み手の創造的な読解によって完成します。僕らはいつも対象物と自己との間で、創造性を巡る「綱引き」をしているのだと思います。

カオス度が高いものは創造性が高い

ドミニク現代美術の祖といわれるマルセル・デュシャンは「自分の作品は単体では意味をなさない。見てくれる人がいてはじめて成立する」という言葉を遺しています。それを見た人が作品から何を受け取るかは千差万別です。創造性が豊かな作品とは、セレンディピティともいうべき思いがけない発見を鑑賞者に与えてくれるものではないでしょうか。

渡邉作品から鑑賞者が何を受け取るか。これに正解はありません。カオス理論のように、まさしく予測不可能。逆に「予測不可能なほどに多様な読解を誘う」作品は強い。カオスを呼び込む作品ほど、創造的といえるのかもしれません。

水口創造性が高いものほど、人間の想像力を超えてきますよね。良い意味での裏切りもあります。でも、そのヒントは、日常の中に潜んでいると思います。それをどう発見し、作品に生かすことができるか。それがつくり手の腕の見せ所なのかな、と。

ドミニク水口さんの作品では、どのゲームにその発想が活かされていますか?

水口最新作は「Rez Infinite」というVR(仮想現実)を用いた共感覚体験のビデオゲームです。プレイヤーはホワイトハッカーとして、サイバースペース内でウイルスを駆逐していきます。効果音が徐々に音楽化し、その音楽がビジュアルと呼応し、振動と一体化するような体験に変わります。眼前の世界は全て3Dで、もはや四角い映像の枠はありません。音楽を立体で「見る」ような、映像を耳で「聴く」ような、共感覚的な体験に一歩近づいたと思います。

ドミニク僕はオリジナルの「Rez」から相当やり込んでいましたが(笑)、「Rez Infinite」ではさらに自然にゲームの世界に没入できるようになって驚きました。一見マッシブなようでいて実はミニマルな「Rez」の世界は、各々のプレイヤーが自由にイメージを投影できる遊びにあふれている気がします。

「つくり手はAI」が当たり前の世界に

水口AIやロボットの台頭によって、クリエイティビティの未来は大きく変わる可能性があります。今までの機械やテクノロジーは、人があまりやりたくないこと、単純な作業などを代替する役割を担っていました。人が楽しいと思う創造的行為は人だけができることだったのですが、これからAIが進化すると、そうした行為も担えるようになるでしょうね。名曲をつくり、名画も描けるようになると。
 少し前まで、デジタル処理された音楽は本物じゃない、アナログだけが本物だ、という認識が我々にもありました。その後CDが爆発的に普及し、ストリーミングの時代が当たり前になって、そんな認識も吹っ飛んでしまった。そう考えると、AIと人間に関する議論も、時間をかけて交錯してくるのではないでしょうか。そうなると、我々の真価があらためて問われることになります。AIも一つのテクノロジーとして、拒否するのではなく、どう取り入れるかをきちんと考えなければならなくなるでしょう。

渡邉「無限の猿定理」というものがあります。地球外の星に100万匹の猿がいるとして、充分に長い時間をかけてキーボードをランダムに叩き続けたのなら、シェークスピアの名作『ハムレット』すら生まれてしまう、という定理です。確率的には可能ですが、それが感動を生むかは僕はまだ少し懐疑的です。例えば映画でいうと、「監督はきっとエンディングのシーンにこういう意味を隠したはずだ」という深読みができるから楽しい。自由に監督の意図を想像してしまう。このとき実は解釈の「正否」は問題ではなくて、鑑賞者が「自説こそが真実だ」と信じ込めるかが大事。誤読でもいいんです。だとすると、AIが偶然のままに撮った映像に対して、僕たちは果たして深読みをしたくなるか。誤読をしてでも解釈をしたくなるか。

水口なるほど、それは面白い例えですね。確かに、僕らは作家性に紐づいた深読みを好みますよね。そこに人格を感じるから、深読みをしたくなるのかな? いずれにせよ、渡邉さんやドミニクさんが撮った映画なら、僕は絶対深読みするでしょうね、楽しみながら。

渡邉この間、とあるイベントで水道橋にあるお寿司屋に行ったんです。15人ほどでひとつのテーブルを囲み、3貫ずつ小皿にのって出てくるお寿司を楽しむ。すると突然お隣の人が手を上げて、「実はそのお皿、僕が焼いたものなんです」と。よく話を聞いてみると、このイベントは器の作家、つまり陶芸家と、僕のような一般客が交互に座りお寿司を食べる会でした。全部で5人、作家の方がいたので、器が変わるごとに異なる作家のお話が聞ける。しかも、その器の土と同じ土地でつくられた日本酒を合わせて味わえるという。

ドミニク面白い。皿やその作り手、お酒と、それぞれが持つ文脈がつながっているわけですね。

渡邉そうなんです。しかも店の入り口付近にはギャラリースペースがあるので、5人の陶芸家の器が購入できるようになっていました。でも全く同じデザインのお皿のはずなのに、新品を見ていてもピンとこない。どうせだったら、自分が使ったものが欲しいと、洗い場にあるお猪口を買って帰りました(笑)。というのも僕にとってその器は直接口をつけた唯一無比のもの。パーソナルな体験こそが記憶を作ります。AI時代に熟考が必要なのは、こういったパーソナルな体験なのではないでしょうか。

心を担うテクノロジーは出現するか

ドミニクパーソナルな関係性の話、とても共感します。この間、娘に聞かせようと、サン=テグジュペリの童話『星の王子さま』を久しぶりに読みました。話の後半に一匹の狐が出てきて、王子様と友達になるんですが、最後にお別れがやってきます。王子様はきれいな金髪なんです。「別れるのがつらい、こんなにつらいならどうして友達になったんだ」という王子様に対して、キツネは、「そんなことはないよ。僕は金色の小麦を目にするたび、君のことを思い出すだろう。そばにいなくても僕は君の中にいる。いいかい、物事は心で見なくてはよく見えない、一番大切なことは目に見えないんだよ」と言って王子様を慰めるのです。

渡邉いい話ですね。

ドミニクこうした、当事者にしかわからない、かけがえのない関係が心のなかで結ばれることこそが「創造的」だと思うんです。私はネットの研究が専門なのですが、今のSNSには人々の「恋」があふれているとつくづく思っています。恋は「乞う」から来ており、自分に欠けている何かを乞い焦がれている状態ですね。
 私は能の謡いを習っているのですが、能ではその「恋」の状態の奥底に、相手の気持ちを理解し、思いやる「心(しん)」という段階があると教えます。私たちが望みえる最高のクリエイティビティとは、まさにこのような人間の認知能力だと思うんです。AIやインターネットといったテクノロジーがそこにどれだけアプローチできるようになるか。それによって、クリエイティビティそのものの捉え方が大きく変わる可能性があると思います。

Profile

ドミニク・チェン
早稲田大学文学学術院表象メディア論系准教授。NPOコモンスフィア理事。ディヴィデュアル共同創業者。著書に『電脳のレリギオ』(NTT出版)『謎床: 思考が発酵する編集術』(晶文社、共著)など。
渡邉康太郎
コンテクストデザイナー、Takramマネージングパートナー。代表作にISSEY MIYAKEの手紙のギフト「FLORIOGRAPHY」他、国内外での展示など多数。著書に『ストーリー・ウィーヴィング』(ダイヤモンド社)など。
水口哲也
メディアクリエイター。Enhance代表、EDGEof共同創業者。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任教授。2016年にリリースしたVRゲーム「Rez Infinite」は米国The Game AwardsでベストVR賞を受賞。