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2024年に放送されたNHKスペシャル『Last Days 坂本龍一 最期の日々』で話題になった「音」がある。 病院に楽器を持ち込めない坂本龍一が、こっそり持ちこんだ「音」。それは小さな「おりん」だった。
おりんとは、仏壇の前で「チーン」と鳴らす、お椀の形をした金属製の仏具だ。といっても、家に仏壇がある人は減っており、音の記憶はあっても見たことがない人は多いかもしれない。坂本龍一が病床で手にしていたおりんは、仏壇で使うものよりもずっと小型で、組紐がついた洒落た「LinNe」の『Chibi』という名のものだった。 通常、おりんのような金属の鳴物を鳴らすと、周波数が波打つように音はうねりが生じて揺らぐ。しかし、小さなLinNeの音は、一つの周波数がまっすぐにどこまでも果てしなく、長く伸びていくような音だ。
なぜ稀代の音楽家は病床でこの音を求めたのだろうか。
「なぜ」を問い続けてわかった本当の伝統
南條和哉が京都の宇治市にあるガールフレンドの実家を初めて訪ねたのは、2003年頃のことだ。人生の伴侶となる彼女の実家で、彼はもう一つ、生涯を賭けることになるものを目の当たりにしてしまった。
「炎と熱気に包まれた鋳造現場の迫力と、そこで生まれたおりんの澄んだ音に圧倒されたんです」
そこは宇治で200年前の江戸時代から続く「鳴物神仏具」の工房だった。窯の中で荒々しく噴き上げる赤い炎、錫と銅を「佐波理」という独自の配合で溶かしていく工程、そうした鋳造の光景に魅了された。そして、彼は仕事を辞めて、アルバイトとして弟子入りしてしまうのだ。
それから約15年が経った頃、長い修行を経て一人前になっていた彼には、難題が近づいていた。住宅事情やライフスタイルの変化から、仏壇を家に置く人が減り、おりんの需要は先細りが避けられなくなっていたのだ。 「何か新しいことをしないと、今後、この仕事を続けていくのが厳しくなる」。彼はそう思っていた。模索していく中で、自分たちの強みと弱みは何だろうと、分析していった。
「なぜ、昔からこの銅と錫の配合率なのか。なぜこの鋳造法を続けてきたのか。なぜこの加工技術なのか」 「なぜ」を繰り返していくうちに、愕然とすることに気づかされた。
昔ながらの配合率、鋳造法、技法、そのすべては「音」をつくるためのものだ。静かに、まっすぐ伸び続ける最高の音のために編み出された技法であるのに、自分は「最高のおりんという仏具をつくる」ことにこだわり続けてきた。
目指していたのは「形」ではなく、本当は「音」だ。伝統の工法で彼が守ってきたのは、「音」だったのだ。 「私たちの一番の強みは、最高の音だと気づいた時、それは仏具に限定しなくてもいいのではないかと思えたのです」 彼は従来のおりんにこだわらない「音づくり」のため、職人と小型のサンプルを作り始めた。そして、半年をかけて、多くの人々におりんの音を聞いてもらっていると、思い知らされることが起き始めた。
「用途は決めない」と決めた
南條が職人たちと作ったおりんの音を聞いて、ある女性がこう言ったことがある。 「あれ、何だかわからないけれど、涙が流れています」。指で目を拭うと、彼女は「大丈夫です」と微笑んだ。亡くなった人のことを思い出したのか、真意はわからない。
それは彼女だけではなかった。音を聞いた人々の表情が、ある瞬間、切り替わる。ある人は微笑み、ある人は「沁み込んできますね」と息をつく。表情から緊張が消えていくのだ。 「用途を僕らが決めることはないんだ」 彼はそう思った。使う人それぞれに、記憶の物語がある。音と人との接点。それは自分たちでつくるものではなく、「音と人との接点となる土台をつくる」。それが自分の役割だと彼は悟った。
ブランド名は「LinNe」にした。そして、誰もが持ち運びができるように小さなおりんに「Chibi」と名付けた。すると、想像もしていないところから問い合わせが続いた。ラグジュアリーホテルのトリートメント、ドアベル、ヨガ、瞑想、着物の根付。そして、世界的なファッションブランドのジル・サンダーからも声がかかり、Chibiに着想を得たおりんのチャームが同ブランドから発売された。 京都市内のアップルストアではLinNeの音色を使ったワークショップが開かれ、デジタル音に囲まれた生活をしている人々の表情が変わっていく。
Forbes JAPANが文化起業家を表彰する「カルチャープレナー30」の2026年版に南條が選ばれた際、私(筆者)は彼と会話をする機会があった。その際、ユーザーが作り手の思惑を超えて用途を開発する「ユーザーイノベーションですね」と言いそうになった。 しかし、ちょっと待てよ。そんな安易なビジネス用語に当てはめていいのか?そう思えてきて、言うのをやめた。商品なら、作り手が用途を決め、使い手はそれを消費する。だがこの音は、聞く人の記憶の中で初めて意味を持つ。用途を決めるのは、使う人の人生なのだ――。
そんなことを考えているうちに、病床の坂本龍一が思い浮かんだ。彼はこのおりんの音を聞きながら、何を思っていたのだろう。音楽に懸けた生涯を、この音の中に甦らせていたのかもしれない。 そして今、世界中の人々が、宇治の駅から決して近いとはいえない南條工房のショップに、プリミティブで研ぎ澄まされた音を求めてやって来る。本当のニーズとは、市場ではなく、人々の心の欠落の中にある。
藤吉雅春
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南條氏をはじめ、文化を未来につなぐ30人を紹介する特集「カルチャープレナー30」は、『Forbes JAPAN』電子版でお読みいただけます。
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