ビジネス

2016.05.13

100億円かけて3年で30社! 東南アジアに新産業を興す日本人

リープラ本社は、シンガポール中心部の歴史ある通りにある、シンガポール伝統の「プラナカン」様式の一軒家。グループ起業家とその社員たちがこの日、はじめて一堂に会した。(photographs by Bryan van der Beek)

「大きなスケールでモノを考える」ー。シンギュラリティ大学創業者ピーター・ディアマンディスがあげる社会を変える優れた起業家に必要不可欠な能力。東南アジアでそれを地で行く日本人起業家がいる。エス・エム・エス創業者・諸藤周平だ。

「『新しい産業をつくる』という壮大なミッションのもと、東南アジアという広い地域でCFO(最高財務責任者)をやることはチャレンジだし、今後数年間かけてやってもいいワクワクすることだ」

海外ブランド品などの販売サイトを運営するエニグモ、クーポン共同購入サイトを運営するグルーポン・ジャパンのCFOとしてIPO(新規株式公開)、M&A(合併・買収)と2社ともに“出口”を経験してきた松田竹生(43)。その集大成として次に選んだのがRe.A.Pra(リープラ)のCFOだ。2015年1月に就任する契機となったのが、リープラCEO諸藤周平(38)の描く東南アジアを舞台にした大構想だった。

「研究(Research)と実践(Practice)を通して、新産業をつくる」

シンガポールの地で諸藤から聞いた話は、これまで聞いたことのないユニークな発想と緻密な戦略だった。特筆すべきはその「スケールの大きさ」と「長期的視点」だ。

100年以上続く会社を目指し、長期的に産業の研究・実践を繰り返し、“ゼロからイチ”で新産業を創出するー。最初の10年のマイルストーンとして、まず時価総額20億ドル(約2,200億円)のグローバル展開できるマーケットリーダー企業群をつくる。そのためには、人口動態や経済成長、外国人でも可能性の高い東南アジア地域での事業展開を中心に、3年で30社のグループ会社を立ち上げ、それぞれに300万ドル(約3億3,000万円)コミットする-というものだった。つまり、9,000万ドル(約100億円)をかけた壮大な挑戦だ。

諸藤は東証一部上場企業で、介護・医療業界向け情報インフラを手掛けるエス・エム・エスの創業者として知られている起業家だ。九州大学経済学部卒業後、キーエンス、ゴールドクレストを経て、03年4月、諸藤が26歳の時に同社を設立。創業以降13期連続の増収増益を計画している右肩上がりの成長を続ける同社の礎を築いた。時価総額800億円近い企業となった現在でも「評価不足」とさらに高い評価をする市場関係者もいる。

「『一億総活躍社会』実現に向けて、政府が保育・介護施設の整備の方針を示すなど、同社の事業環境に追い風が吹き、さらなる成長に期待ができる。創業時からこの市場を狙う“先見性”と、コア事業から周辺事業へと事業拡大し続けている“戦略性”は評価が高い」(フィスコ・佐藤勝己チーフアナリスト)

今後、成長が望めると高い評価を受ける事業を手掛けていながらも、諸藤は14年4月、CEOの座を自ら降りている。起業家にとっては“我が子同然”という自分が立ち上げた企業にもかかわらず、だ。

「創業3期目に『100年続く会社に』と決め、経営、事業、組織育成の観点から研究し、『創業者が長く続けるのはよくない』と10期目で社長から降りることを決め、5年かけて後継者を探した。企業として、相対的に競争優位に立つかを常に考え、自分の“欲”にとらわれない稀有な起業家」(スタートアップ人事・組織支援を行うスローガン社長・伊藤豊)
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山本智之 = 文 ブライアン・ファンデル・ビーク = 写真

この記事は 「Forbes JAPAN No.22 2016年5月号(2016/03/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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