バリュー投資とは「最も低い倍率を買うこと」ではない
低い株価収益率(PER)は説明であって結論ではない。特定の瞬間に、1つの財務指標に対して市場がその企業をどう評価しているかを示すにすぎない。利益が持続可能か、負債が管理可能か、経営陣が賢明に資本配分を行うか、企業がより高い倍率に値するかといったことは何も教えてくれない。
分母もまた誤解を招く。利益が景気循環のピーク近辺にあるかもしれない。キャッシュフローは一時的な運転資本の変化によって底上げされている可能性がある。簿価は、十分なリターンを生まない資産で構成されているかもしれない。市場がその企業の事業採算の悪化を見込んでいるために、統計上は割安に見えているだけということもある。だからといって低い倍率が無用というわけではない。それはしばしば分析を始める良い出発点となる。ただし、分析を終える場所ではない。問うべきは、株が過去や同業他社に比べて安いかどうかだけではない。なぜ割安なのか、そしてその理由を変え得るものは何かである。
バリュー投資は事業の質から始まる
事業に価値があるのは、生み出せるキャッシュ、保有する資産、築いた競争上の地位、そして経営陣がそれらの資源で下し得る意思決定があるからだ。低い倍率が弱い事業を無期限に補ってくれることはない。縮小する市場で事業を営み、絶えず再投資を迫られ、価格決定力を欠く企業であれば、見かけ上の割安さにも相応の理由があるのかもしれない。負債、年金債務、維持投資がキャッシュフローを食い潰しているなら、表面上の数字が示す価値を株主が受け取れない可能性がある。私は、投資仮説が機能するまで事業が生き残れるかを知りたい。投資家の短期志向は、時にこれを見落とす。
その企業は本物のフリーキャッシュフローを生んでいるか。バランスシートは景気後退に耐えられるほど強いか。資産は別のオーナーにとって価値があるか。大胆な仮定を置かずに利益率は改善し得るか。顧客がその企業から買い続ける理由はあるか。割安さは注目を集める。だが、その機会が本物かどうかを決めるのは事業の質である。これは、すべての投資が素晴らしい優良企業でなければならないという意味ではない。最良の特殊状況(スペシャルシチュエーション)案件のいくつかは、平凡な事業、あるいは問題を抱えた事業から始まる。しかし、そこには解き放つに値する何かがなければならない。触媒は、存在しない価値を生み出すことはできない。
バリュー投資には適切なインセンティブが必要だ
優れた事業であっても、それを支配する人々に変える理由が乏しければ過小評価のまま、割安なままになり得る。経営陣は、資本利益率ではなく売上高の成長で報われているかもしれない。取締役会は、誤りを認めることが不快だからという理由で拙い買収を容認するかもしれない。経営幹部は、会社の規模と自身の報酬を増やすために、低採算部門を温存するかもしれない。そうした状況では、割安を解消する権限を持つはずの人々が現状維持から利益を得るため、割安さが続く。
だからこそ私は、株式の保有構造とインセンティブの分析に多くの時間を費やす。経営陣はどれほどの株式を保有しているのか。役員は自己資金で株を買ったのか、それとも単に付与されたのか。報酬(の権利)が確定する(ベスティング)には何が起きる必要があるのか。取締役会は株主価値を守っているのか、それとも経営陣を守っているのか。利害の一致しない経営陣を抱えた割安企業は、まったく誤った理由から長期保有銘柄になりかねない。外部投資家が「そうあるべき」と信じるだけでは、企業の評価は切り上がらない。価値が表に出るための意思決定は、事業の内側にいる誰かが下さねばならないのだ。


