「プラン75」に申し込んだ後のミチの心理的なケアをするのが、コールセンター勤務の瑤子だ。瑤子との電話でミチは自分のこれまでを淡々と語り、その声に惹かれた瑤子は職務をはみ出してミチと会う。瑤子に気遣いつつ、懐かしい思い出の場所で精一杯今を楽しもうとするミチの自然体が好もしい。
後期高齢者と一口に言っても千差万別で、決して一言では語れない歴史がそれぞれにある。ミチの人生も平坦ではなかったが彼女はその時々で懸命に生き、生きる喜びもまだ忘れていないのに、実質的には「自殺」へと追いやられている。最後の業務連絡の電話での瑤子の声の震えは、ヒロムの涙と同じく、一つの生のささやかな輝きと自分の関わる制度との圧倒的な乖離に直面したがゆえだろう。
瑤子の葛藤がもっとも強く現れるのは、職場の食堂の場面だ。少し離れたテーブルで新人スタッフを指導する上司の声が聞こえてくる。「(「プラン75」を)途中でやめたいという人が多い。そうならないように誘導しなくては」。その意味に耐えられず、宙を見つめたまま持っていた箸をカチッと鳴らす瑤子。直後にカメラにまっすぐ向けられた彼女の視線は、これがグロテスクでなくて何なのか?とわれわれに問うている。
三番目のマリアは、ヒロムや瑤子とは若干異なる立場にある。故郷にいる難病の幼い娘のために、老人介護施設で働くフィリピン女性であり、彼女を励まし助け合おうとする在日フィリピン人の集まりがある。そこで紹介された”もっといい仕事”が、「プラン75」の仕組みの最後、身寄りのない遺体を点検し細々した持ち物を回収、仕分けする作業だ。
ここで、まだ使えそうな物をちゃっかり私物化し、それが当たり前だと嘯く職員の態度にマリアは最初躊躇いを覚える。しかし彼女にとって、日本の制度について異論をぶつけたり職場の先輩の行動に疑問を唱えるような動機は、ヒロムや瑤子以上にない。マリアはただ一人の外国人として、郷に入れば郷に従う態度をとっていくだけだ。
仕事を請けた結果として自転車を手に入れた彼女の生き生きした表情と、制度の末端に機械のように組み込まれている状態のミスマッチ。マリアの描写には何とも居心地の悪い齟齬がつきまとう。これは、ヒロムや瑤子のように相手との関係性の生まれる余地、人間的な余白が、マリアの環境には最初からないことも影響している。そんな位相にあった彼女が、最後のヒロムの行動に偶然巻き込まれるかたちで手を貸してしまうくだりは、人はどこで問題の根幹に関わることになるのかわからないことを示しているかのようだ。


