——日本でも低賃金の移民労働者が増える中で、排外的な反発が強まっている。デリケートな移民の問題で、非ポピュリストの側はどんな立場を取るべきか。
二つの失敗パターンがある。一つ目は、移民へのあらゆる懸念を不当なものとして扱うことだ。自分の住む地域が急速に変わり、公共サービスが逼迫し、統合がうまくいっていないと気づく人々は、その大半が人種差別主義者なのではない。自分が観察したことを、ありのままに報告しているだけだ。それを偏見だと切り捨てれば、本来こちらが届けるべき相手を、かえってポピュリストの腕の中へ押しやってしまう。
二つ目は、ポピュリストの診断を(一部)容認することだ。デンマークの社会民主党が、その例だ。彼らは反移民の議題をかなりの程度まで取り込むことで、選挙に勝った。右派ポピュリスト政党であるデンマーク国民党を縮小させた。選挙戦略としては成功した。だが、ここでより難しい問いが生まれる。民主主義は、いったい何を勝ち取ったのか。その党は、戦っていた相手の、ほんの少しだけ穏やかな版になっただけだ。それは、得るものより失うもののほうが大きい勝利だ。彼らは、以前からの民主的信念を別のやり方で提示したのではない。信念そのものを変えてしまったのだ。有権者はそれに気づく。たとえ選挙後の世論調査には表れなくても。
より難しく、よりよい答えは、懸念を真剣に受け止めることと、移民を真剣に受け止めることを、同時に行うことだ。具体的には、統合が実際に何を要するか――言語、雇用、住宅、機能する学校、新参者と元からの住民の双方に居場所のある市民の物語――に正直に向き合うことだ。どれも容易ではないし、迅速に行えるものでもない。不安が集中する地域や層に投資し、移民への懸念がゼロサムに感じられないようにすることだ。「新参者がお前のものを奪っている」というポピュリストの主張への最も強い答えは、そもそもあなたのものは脅かされていない、と人々が日々の暮らしの中で実感できるようにすることなのだ。


