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アート

2026.06.30 15:00

甲冑1億円の落札が示す「アートの地殻変動」 日本は今、工芸の真価を世界にどう伝えるべきか?

妙心寺・退蔵院の本堂から庭を見る(撮影:著者)

比較社会の不安を抜け出す「真剣な鬼ごっこ」

平岡:日本の思想を世界に伝え続ける松山氏自身は、日々どのようなリーダーたちと向き合っているのでしょうか。そして、その方々の精神状態をどう見ていますか。

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松山:世界を牽引するVIPの方々をご案内する機会が多いのですが、「本当に幸せそうな人」は非常に少ないと感じます。常に「いつ寝首をかかれるか」という凄まじい不安とアドレナリンで動いています。

お金も地位も、最初は「必要」だから求めるのですが、ある地点を超えると「不安」から求めるようになる。果てしない比較対象の中で、足りないものばかりを数えて苦しんでいます。

真に幸せを保っている一流の人たちに共通するのは、「知足(足るを知る)」という感覚です。現状維持や諦めではありません。今、自分が息をして、歩けて、温かい布団で眠れる。その当たり前の日常がいかにありがたいか、腹の底から理解している状態です。

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平岡:とはいえ、企業の従業員を率いるリーダーとして、その状態でよいのでしょうか。「足るを知る」ことが、成長を止めることにはならないのでしょうか。

松山:仏教の世界で「悟りを開いた人の感覚」を表現した面白い言葉があります。それは「子どもが鬼ごっこをしているような感覚」です。

子どもは「たかが遊びの鬼ごっこ」だと分かっていながら、絶対に手を抜かず、死ぬ気で走って逃げますよね。仕事も人生も同じです。心のどこかで「たかが仕事だ」という俯瞰した視点(知足)を持ちながらも、目の前のことには死ぬ気で取り組む。この俯瞰と没入を両立した「真剣な鬼ごっこ」のマインドセットを持てるかどうかが、これからの時代を生き抜く一流の条件なのだと思います。

平岡:「真剣な鬼ごっこ」……面白い表現ですね。成長と拡大を前提とする資本主義のゲームにおいても、「足るを知る」視点を持たなければ、競争は際限なく続き、組織も個人も疲弊していきます。

禅は、競争からの逃避を説く思想ではありません。競争の外に出るのではなく、競争の中に俯瞰の視点を持ち込む。「真剣な鬼ごっこ」は、その現代語訳と言えるのかもしれません。

臨済宗妙心寺派・退蔵院副住職の松山大耕氏(撮影:著者)
臨済宗妙心寺派・退蔵院副住職の松山大耕氏(撮影:著者)

日本が世界に示せる「軸」とは何か

松山氏との一連の対話を通じて見えてきたのは、日本の工芸・職人・禅的思想が、単なる伝統文化ではなく、いくつもの相反するものを両立させる思想としての価値を持つということです。

用途と美。技術と精神。自己研鑽と幸福。余白と強度。

日本の工芸に宿る価値は、価格や希少性だけでは捉えきれません。そこには、比較や競争からではなく、自らの内側にある動機に向き合い、終わりのない自己研鑽を続ける姿勢があります。そして、正解を与えるのではなく、体験を通じて受け手の内側に気づきを生むのです。

だとすれば、日本が世界に発信すべきなのは、「日本の作品は素晴らしい」という主張だけではありません。なぜ用途のある器が美術館で語られ得るのか。なぜ職人の手仕事が、芸術として語られ得るのか。なぜ影や余白や沈黙が、情報過多の時代に新しい美として響くのか。その背後にある思想を、現代の言葉で語り直すことなのだと思います。

注目すべきことに、こうした東西の思想の対話は哲学の最前線でも始まっています。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは著書『時間・自己・幻想――東洋哲学と新実在論の出会い』の中で、「西洋哲学が不変のものを探求するのに対し、東洋思想は『変わらないものが存在するという幻想はなぜ生じるのか』を問う」と語り、両者の統合を自らの哲学的課題として掲げています。世界の知性が東洋思想に向き合い始めている今、日本人自身がその射程を自覚し、対等な言語で届けられるかが問われています。

必要なのは、欧米の評価軸に合わせて自らを翻訳し続けることではありません。日本の内側にすでに存在している価値の軸を、自覚し、言語化し、世界と対等に共有し、新しい価値を創っていくことではないでしょうか。

文=平岡美由紀

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