また以前、松山さんの主催で、妙心寺で初めて禅を体験しました。坐禅のあと、精進料理をいただきながら、書道と同様に、ただ心が静まっていく感覚がありました。
この「もうひとつの世界」を持つことが、経営者やリーダーにとって中長期的に大きな意味を持つと私は思っています。短期的なパフォーマンス向上を目的としないのです。しかしだからこそ、日々の判断や行動の中に、ゆっくりと深みが宿ってくる。喧噪の中でも軸を失わない感覚、目先に振り回されない視点、そして美しさへの感度。それらは「学ぶ」ものではなく、静かに向き合い続ける時間の中で、気づけば身についているものなのかもしれません。
だからこそ、日本人自身が文脈ごと届ける発信者にならなければならないのだと思います。世界が日本の文化に関心を寄せている今、必要なのは「分かりやすく消費される日本」ではなく、「思想としての日本」を正しく提示することではないでしょうか。
シリコンバレーのエリートが驚く「陰翳礼讃」
平岡:どう伝えれば、日本の美意識が正しく届くのでしょうか。
松山:日本と世界の国々とでは、根底にある美的価値観が全く違うということを、まずは解きほぐす必要があります。私はスタンフォード大学の学生たちに、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』を課題図書にすることがあります。光の当たらない部分にこそ、ものの本質と深みが宿るという美意識を論じたこの作品に、彼らは非常に大きな衝撃を受けます。
欧米の美の基本は、「明るい光の中」にあります。しかし、日本は逆で「影」を礼讃する。輪島塗の奥深い美しさも、暗い部屋で一本の蝋燭の光を反射して初めて、ギラッとした妖艶な輝きを放ちます。蛍光灯の下では、本当の価値は全くわかりません。
講義ではまた、「ししおどし」の話をしたこともあります。静かな部屋にただいるだけでは、人は静寂に無自覚です。しかし「カーン」という水の音が響くことで、初めて自分を取り巻く静寂に気づくことができる。日本の美や禅は「教える」ものではなく「気づかせる」ものです。
平岡:論理で説明して理解されるものではなく、体験の中で腑に落ちる性質を持っているのですね。気づきを生む場をどう設えるか。それこそが、これからの重要な戦略になるわけですね。
日本の美意識は、そのための豊かな方法論を持っています。余白、間、沈黙、所作、気配。これらはすべて、受け手に解釈の余地を残し、内側から意味が立ち上がるように設計されたものです。世界に日本の価値を届けるとは、単に説明を増やすことではなく、むしろ、どのような体験を通じて気づきを生むかを設計することなのかもしれません。


