バスクの沿岸部から南へ向けてチャーターバスを走らせる。緑豊かな傾斜地を抜け、カンタブリア山脈を貫くいくつかのトンネルをくぐり抜けると、肌に触れる空気の質感が変わるのを覚えた。
海沿いのしっとり湿潤な空気はどこへやら、車窓の外には、乾いた黄土色の大地と、どこまでも続くぶどう畑が広がる。エブロ川の豊かな流域に拓かれた、スペインを代表するワイン産地リオハ。その北部に位置するリオハ・アラベサのぶどう畑には、日陰を探したくなるほどに、力強い太陽の光が降り注いでいる。
(記事末に、「初めて書籍を執筆してみて 3 ━━目指すはワインの名誉回復」掲載)
輸出拠点としてのアロ
面白いのは、リオハの歴史には、近代ヨーロッパの産業史が色濃く映し出されていることだ。19世紀後半、フランスのぶどう畑が、フィロキセラという破壊的な害虫によって次々と壊滅状態に陥った。ちょうど同じ頃、スペインではリオハと大西洋岸をつなぐ鉄道が開通し、アロ(Haro)の町に駅が誕生していた。自らのワインを失ったボルドーの商人たちは、この真新しい物流インフラに目をつけ、代替のワインを求めて国境を越えて雪崩れ込んできたのだ。
彼らはアロを輸出拠点として機能させるため、駅周辺に莫大な資本を投下した。こうしてアロはスペインで最も早く電話や街灯が整備された都市のひとつとなり、駅の周囲には巨大な資本主義的ワイナリー文化が形成されていく。
一方、筆者たちが訪れたエブロ川の対岸に位置するリオハ・アラベサ地区は、古くから自らの手で小規模な畑を耕してきたコセチェロ(自作農)たちがひしめく職人の村々だ。外部の資本や先進的なインフラを背景に発展したアロの大手ワイナリーに対し、かつてアラベサの農家たちは、ぶどうを安く供給する下請け的な存在に甘んじていた。
この構造から脱却し、自社瓶詰めへと移行した歴史的背景こそが、アラベサの造り手たちが持つ強い畑への誇りと反骨精神の根源にある。現在、同地区にあるマルケス・デ・リスカルやボデガス・イシオスといった名門ワイナリーは、著名建築家によるモダンで前衛的な建築を取り入れ、ワインツーリズムの世界的な目的地となっている。これも、次世代へ生き残るためのアラベサならではの生存戦略なのだ。



