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2026.07.03 13:00

なぜ優れた企業が「投資対象として最悪」になり得る理由

Nadejda - stock.adobe.com

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伝統的なオールドスクールのバリュー投資家を含め、投資家は卓越した企業を好む。

強いブランド、高い利益率、継続的な収益、支配的な市場ポジション、そして実行力を伴う実績のある経営陣を求める。その直感は理にかなっている。優れたビジネスは理解しやすく、防御もしやすく、たいていはボラティリティ局面でも保有し続けやすい。だが、優れたビジネスが自動的に優れた投資になるわけではない。多くの投資家がつまずくのはここである。

彼らは企業の質と株式の魅力を混同する。事業が卓越しているのだから、その株式も卓越した機会を提供するはずだと考える。しかし株式市場が報いるのは、質そのものではない。株式市場が報いるのは、期待と実績のギャップである。すばらしい企業でも、価格に過度な楽観をすでに織り込んでいれば、最悪の投資になりうる。平凡な企業でも、期待が崩壊した状態で、事業が恐れられていたほど悪くなければ、並外れた投資になりうる。

企業と証券の違いは、投資における最も重要な区別のひとつだ。多くの投資家は理屈では理解している。だが、いざ自らの資金が絡むと、感情に流されてその原則を忘れてしまいがちだ。

事業と株式は同じではない

企業は事業資産である。株式は、その資産に特定の価格で請求権を持つものだ。この2つは同じではない。優れた企業が成長を続け、シェアを拡大し、過去最高益を更新し続けていても、株価が何年も出遅れることはある。起点となる買値が高すぎた場合に起こる。企業は結果を出すかもしれない。株式はそうとは限らない。マイクロソフトは2000年以降も優れた企業だった。売上高、利益、フリーキャッシュフローは成長を続け、Windowsは支配的な地位を保ち、Officeは米国企業社会に深く組み込まれたままだった。

だが、テクノロジーバブルの頂点で株価はほぼ完璧を前提に値付けされていた。2012年末までに、マイクロソフトの1株当たりフリーキャッシュフローは1999年比でおおむね3倍になったにもかかわらず、株価は1999年末の水準よりなお50%以上低かった。

事業は結果を出した。投資は結果を出さなかった。問題はマイクロソフトではない。投資家がマイクロソフトに支払った価格である。投資家は評価に将来の成長を過剰に先取りして織り込んでしまい、株価に埋め込まれた期待に追いつくためだけに、何年もの実質的な事業進捗が必要になった。

なぜなら、リターンは事業が何をするかだけで決まらないからだ。リターンは、市場があらかじめ織り込んでいる「期待値」に対して、実際の業績がどう推移するかで決まる。投資家が25%成長を期待しているのに企業が20%成長なら、事業としてはなお優れているかもしれない。それでも株価は下がりうる。投資家が利益の崩壊を期待しているのに横ばいにとどまるだけなら、事業としては平凡かもしれない。それでも株価は急騰しうる。

市場は絶対的な質だけでなく、期待に基づいて価格を変える。だから最初の問いは、その企業が良いかどうかではない。現在の価格に、その企業が期待を上回る余地が残っているかどうかである。

優れた企業は「持たれ過ぎ」になる

最高のビジネスには資本が集まる。機関投資家が欲しがり、グロースファンドが欲しがり、インデックスファンドは時価総額が上がるほど積み上げる。アナリストは物語が説明しやすいので推奨し、経営陣はテレビに登場する。株式は「質へのエクスポージャー」を求める投資家にとってのデフォルト保有銘柄になる。時間が経つほど、株主基盤は混み合っていく。

最近の例がエヌビディアだ。同社はAIブームに乗るための市場の「定番の手段」になった。グロースファンドがエヌビディア株を積み上げ、パッシブファンドは時価総額の上昇に伴って買い増し、アナリストは目標株価を繰り返し引き上げ、ジェンスン・フアン氏は世界で最も目立つ経営者のひとりとなった。

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