事業は並外れた成果を出し続けた。エヌビディアの2025年度の売上高は2倍超となり1305億ドル(約20兆8800億円。1ドル=160円換算)に達した。だがその時点では、あまりに多くの投資家が同じ理由で株を保有していたため、支配的なAIナラティブに疑義が生じるだけで巨大な圧力がかかり得た。2025年1月、DeepSeekが将来のAIモデルに必要な計算能力の規模に疑問を投げかけると、エヌビディア株は1回の取引で17%下落し、時価総額をほぼ6000億ドル(約96兆円)失った。
それでエヌビディアが突然悪いビジネスになったわけではない。卓越した企業が「混み合った投資」になり、ほぼすべての株主が同じ期待に依存していると何が起こり得るかを示したにすぎない。
混み合いは、事業が弱いことを意味しない。市場に「買い手候補」がこれ以上残っていない可能性(買い枯れ状態)を意味する。これは重要である。株式がアウトパフォームを続けるには新たな需要が必要だからだ。ほぼ全員がすでにその企業を保有していると、さらなる上昇は、投資家がポジションを増やす、バリュエーションがさらに拡大する、あるいはすでに高い期待を上回る利益を出すことに依存する。許容誤差は狭まる。
「持たれ過ぎ」の株は、2年前なら称賛されていたはずの結果でも下落しうる。売上は伸びるが十分に速くない。利益率は強いが拡大が止まる。見通しは上方修正されるが投資家が望んだほどではない。
企業が失敗したのではない。期待が不可能になったのだ。これは市場のお気に入り銘柄に共通する特徴である。投資家は徐々に事業価値を問わなくなり、質それ自体がどんな価格でも正当化すると考え始める。正当化しない。
バリュエーションとは、楽観の価格である
事業が卓越していると、バリュエーションは二次的な論点として扱われがちである。投資家は、その企業はプレミアムに値すると言う。それは正しいかもしれない。問題は、プレミアムが合理的な結果から乖離し得ることだ。高いバリュエーションが自動的に危険というわけではない。優れた経済性、長い成長余地、強固な競争優位を持つ企業の一部は、高いマルチプルで取引されるに値する。
危険が現れるのは、そのバリュエーションが企業に「ほぼ完璧」であることを要求するときだ。その時点で株式は成功に値付けされていない。非常に特定のバージョンの成功に値付けされている。企業は売上目標を達成し、利益率を維持し、競争を回避し、顧客ロイヤルティを保ち、資本配分を賢明に続けなければならない。


