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テクノロジー

2026.06.26 16:45

テトリス、世界を制した男たちの熱狂――冷戦の壁を穿った日本からの挑戦<VIVATECH 2026>

テトリスを開発したアレクセイ・パジトノフ(左)と、同作を世界的大ヒットへ導いた実業家でありゲームデザイナーのヘンク・ロジャース(中)。右はモデレーターのニューヨーク・タイムズのスプナ・マヘシュワリ

テトリスを開発したアレクセイ・パジトノフ(左)と、同作を世界的大ヒットへ導いた実業家でありゲームデザイナーのヘンク・ロジャース(中)。右はモデレーターのニューヨーク・タイムズのスプナ・マヘシュワリ

フランス・パリで開催された欧州最大級のテクノロジーイベント「VIVATECH 2026」で、世界的パズルゲーム「テトリス」の誕生と普及の軌跡をたどるパネルディスカッションが行われた。
登壇したのは、1984年に旧ソ連で同作を開発したアレクセイ・パジトノフと、同作を世界的大ヒットへ導いた実業家でありゲームデザイナーのヘンク・ロジャースである。ニューヨーク・タイムズのスプナ・マヘシュワリの進行のもと、テトリスの成功が日本のゲーム産業での経験や任天堂との強固なパートナーシップ抜きには語れないことが鮮明になった。

本稿では、冷戦下のライセンス交渉から現代の厳格な知的財産(IP)管理、そして医療応用や仮想スポーツへの展開まで、約40年にわたるビジネスの軌跡を追う。

2026年初夏、熱気に包まれたパリ。欧州最大級のテクノロジーイベント「VIVATECH 2026」のメインカンファレンス会場「VIVATECHシアター」の壇上に、二人の老練な男が静かに腰を下ろした。米ニューヨーク・タイムズ紙のスプナ・マヘシュワリの進行で幕を開けたそのセッションは、単なるゲームの回顧録ではなかった。

アレクセイ・パジトノフと、ヘンク・ロジャース。

いまや誰もが知る世界的パズルゲーム「テトリス」をこの世に生み出した天才プログラマーと、それを世界的な大ヒットへと導いた希代の起業家である。彼らの口から語られたのは、冷戦下の旧ソ連と日本という特異な結節点から生まれた、知られざるビジネスの死闘だった。

ラスベガスCESの熱狂と、日本の「囲碁」

時計の針を巻き戻そう。1988年、米ラスベガスで開催された家電見本市(CES)。当時、日本に拠点を置きゲームパブリッシング会社を率いていたロジャースは、一つの奇妙な画面に釘付けになっていた。

音もない。華麗なグラフィックもない。ただ、幾何学的なブロックが落ちてくるだけだ。だが、ロジャースはそのブースの列に4度も並び直した。「一体なんだこれは。完全に夢中になってしまった」。

ロジャースには確信があった。彼の脳裏にあったのは、日本の伝統的なボードゲーム「囲碁」である。白と黒の石だけで構成される極限まで削ぎ落とされた世界。グラフィックなど皆無でも、そこには底知れぬ奥深さが広がっていることを、父と囲碁を打って育った彼は骨の髄まで理解していた。

「ブロックだけ? それがどうしたというのだ」。

ロジャースはこのダイヤの原石を手に、すぐさま日本の巨大市場へと向かった。だが、現実は冷酷だった。当時の日本のゲーム市場を牽引していた巨大企業アスキーに売り込むも、「レトロすぎる」と鼻であしらわれたのだ。

「1988年当時、彼らはこのゲームを一蹴した。だがどうだ。テトリスは今も生き残り、アスキーは消滅した」。ロジャースの言葉に、壇上は静かな興奮に包まれた。(※ライター注:当時のアスキーは法人としては消滅したが、事業の一部は角川アスキー総合研究所に継承されている)

男は諦めなかった。日本市場向けの各種ライセンスをもぎ取ると、次なる巨大な標的へ狙いを定めた。任天堂が社運を賭けて開発していた携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」である。

ロジャースは任天堂の米国法人代表、荒川實に直談判を試みた。「男の子にゲームボーイを売りたいなら、マリオを同梱すればいい。だが、世界中のすべての人間に売りたいなら、テトリスを同梱すべきだ」。この一言が、世界のゲーム史を動かした。任天堂は動いた。

だが、最大の壁が立ち塞がっていた。権利である。知的財産(IP)という概念すら存在しない冷戦下の旧ソ連から、どうやって正式なライセンスをもぎ取るのか。ロジャースは単身、モスクワへと飛んだ。片道切符の観光ビザを握りしめて。

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文=高杉明

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