美食都市のインフラとなった「秘密結社」とオープンソース化
シードラで喉を潤したなら、いよいよ美食の中心地サン・セバスティアンへ。夜の旧市街は、ひしめき合うバルと多国籍の観光客の熱気でむせ返るようだ。
今回のツアーでご一緒した、日本ガストロノミー協会会長であり『日本人の9割は知らない世界の富裕層は日本で何を食べているのか?』(ダイヤモンド社刊)の著者・柏原光太郎氏の解説を聞きながら、ピンチョス巡りを楽しんだ。
バル巡りの道中、柏原氏がバスク美食の原点ともいえる美食倶楽部(ソシエダ・ガストロノミカ)のユニークな掟について教えてくれた。
人口18万人ほどのこの街には、大小合わせて100以上もの美食倶楽部が存在する。料理好きの男たちが夜な夜な集まり、自分たちで食材を持ち込んでキッチンで腕を振るい、地酒を飲み、語り合う会員制のプライベートクラブ、いわば「秘密結社」だ。
一見すると男たちの優雅な遊び場に見えるが、実はこの倶楽部が誕生した背景には、バスク特有のジェンダー事情が潜んでいる。
バスクは古くから母権が強い地域とされ、伝統的なバスクの家庭において、実権を握るのは家の女主人であることが多かった。家のキッチンは彼女たちの不可侵領域であり、夫が足を踏み入れることは許されなかったのだ。家庭のキッチンから締め出された料理好きの男たちが、気兼ねなく自分たちの料理を楽しむために街の片隅にキッチンを借りたのが、美食倶楽部の始まりなのだ。
現代ではゲストとして女性が招かれることも増えたが、今でも厳格に守られているルールがある。柏原氏によれば、夫婦で招かれた場合でも、女性はキッチンの外のテーブルで待機し、食べるだけ。女性がフォーク1本を取りに行くことすら許されないという。料理も給仕もすべて男性が行うという掟が、結果的に彼らの料理の腕を独自進化させていったのだろう。
さらに柏原氏は、サン・セバスティアンが世界的な美食都市へと飛躍した理由をこう語る。
「1980〜90年代、スペイン料理が脚光を浴びるようになった際、地元のシェフたちは自らの秘伝のレシピを独占せず、惜しげもなく共有し合いました。このオープンソースのような知の共有が、星付きレストランからバルで出される伝統的なバスク料理にいたるまで、サン・セバスティアンの街の食レベル全体を押し上げたのです」
「競争」ではなく「共創」を選ぶ。この特異な連帯を生んだ土壌こそが、男たちがフラットに料理を教え合う美食倶楽部のカルチャーなのだ。
さらに、この美食倶楽部には、もう一つ大きな役割があった。1939年から続いたフランコ独裁政権下において、バスクの言語や文化は公の場で厳しく弾圧された。しかし、「政治の話は持ち込まない」という規約を持つプライベートな美食倶楽部では、国家の監視の目をすり抜ける隠れ蓑になったという。男たちは閉ざされたキッチンの奥で地元の食材を料理し、バスク語で語り合い、文化を繋いだのだ。


