日本では、なぜ争点が立ち上がらないのか
真山:『ハゲタカ』シリーズには、松平貴子という女性が登場します。日光の名門ホテルの後継者で、男性読者には人気がある人物です。でも、女性読者にはあまり人気がない。
なぜかというと、男性が好む「尽くす、健気な女性」として見られやすいからです。日本の会社でも同じことが起きています。男社会の中で上手く立ち回り、仕事も真面目にやり、悲壮感を上品に見せられる人は上がっていく。一方で、バリバリやるけれど、文句も言うし、既存の空気に合わせない人は生きにくい。
ここで言いたいのは、個人の資質の話ではありません。日本社会では、既存のルールに上手く適応する人は評価される一方で、そのルール自体を問い直す人は扱いにくい存在と見なされやすい、ということです。
政治でも同じです。日本では社会に不満があっても、それが既存の枠組みそのものを問う争点になりにくい。例えば野党が政策を打ち出しても、与党がその一部を取り込むことで、対立軸がぼやけてしまう。結果として有権者からすれば、何をめぐって争っているのか、どの選択肢を選べば何が変わるのかが見えにくくなります。
本当は、政治はもっと究極の選択を見せるものだと思います。自分の税金は何に使われているのか。誰を助け、誰を助けないのか。何を守り、何をあきらめるのか。
極端な例ですが、東京で集めた税金を地方に配るのをやめると言う政党があったらどうなるか。東京に暮らす人は、自分の税金が地方へ使われていることを考えるようになります。一方で地方に住む人たちは、その再分配がなくなったらどうなるかを考える。これは高齢者医療をどこまで支えるのかというテーマでも同じことが言えます。
もちろん、再分配や医療負担の見直しについて正面から言えば、大きな反発が起きます。しかし、税金や社会保障をめぐって、誰をどこまで支え、誰にどこまで負担してもらうのかという選択は、すでに避けられなくなっている。にもかかわらず、それを政治の争点としてはっきり示せていないのが現状です。
三牧:アメリカでは、よくも悪くも争点がむき出しになります。移民、人種、ジェンダー、医療、住宅、教育と、さまざまなテーマがあります。そうしたなかで人びとは、自分の立場を意識せざるを得ない。だからこそ対立も激しくなる。
真山:三牧さんと竹田ダニエルさんの共著『アメリカの未解決問題』(集英社新書)を読んで思ったのは、アメリカと日本では、政治に対する意識に歴然とした差があるということです。
私自身、大学の講座で学生と定期的に話す機会がありますが、選挙のたびに結果を見て驚いたりはしているのです。ところが、世の中に不満はないかと聞くと出てこない。「こんな恵まれた国に生まれている」と自分たちで言うわけです。
もちろん、日本が相対的に恵まれている面はあります。しかしアメリカの若者と比べると、同じZ世代でも社会への切迫感は大きく異なると感じます。


