真山:アメリカの現状を聞くと、日本社会との乖離を強く感じます。日本では、今なお政府が国民を大切にするのが当然という“常識”が根強い。ところが、国家がどう機能して国民生活を安定させているのかということへの関心は、ほとんどない。ただ一つ、税金や社会保障費を「奪われる」ことには強い違和感があり、国家は国民から大切なお金を収奪する機関だと考える人が増えてきています。
日本の政治は、国家がどのように機能しているのかを敢えて可視化せずに来たという印象が、私にはあります。そのため、国民側に、快適で安全な生活を過ごせているのは、日本はそういう国だからという根拠なき思い込みがある。だから、増税などは「ありえない」となるのだと思います。
国民主権を掲げながら、実は国民はお客さんで、自分たちの求めることを行政はやればいいと思っている。この生活を自分たちも一緒に守ろうという発想にいかない。
国家が機能しないということを想像したこともないし、その場合も、国民が考えることではなく、それは「お上」が解決せよという発想になってしまう。
日本では、リベラルの発想も保守の発想も、空理空論で、現実味を欠くため、日本の社会は、「現世利益」を求めがちになってしまっているのではないでしょうか。無論、危機感を抱いている人はいますが、それでも深刻ではない。
先の衆院選挙で、リベラルが敗北したように言われていますが、私は、そもそも日本にはリベラルを実行している政党など存在せず、自民党に反対するためだけが目的の政党があると考えています。彼らは批判しかせず、国民の生活を向上させるための政策を持っていない。「食品消費税ゼロ」を訴えたのに、信用されなかった。だったら、政権運営にも慣れていて国民が期待できそうな公約を掲げる自民党でいいのではという結果だったような気がします。
三牧:私が在籍する同志社大学で6月初頭、『リベラリズムはなぜ失敗したのか』(2018)が日本でも広く読まれている政治思想家パトリック・デニーン氏を招聘しました。彼は、「リベラリズムは個人を共同体から解放したが、その結果、人は本当に自由になったのか」と問いかけます。「むしろ政府や大きな制度に依存、さらには従属するようになり、むしろそもそもは持っていたはずの自由を失ってしまったのではないか」と。これは、リベラリズムの成否についてどう評価するか、今後もリベラリズムに期待を託し続けるべきかどうかについてデニーン氏と評価を違える人も、いったん立ち止まって考えるべき問いです。


