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リーダーシップ

2026.06.23 09:20

老王と竜:叙事詩『ベオウルフ』に学ぶリーダーの責任

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中世イングランドの叙事詩『ベオウルフ』の終盤、老齢の王ベオウルフは竜と戦う決意を固める。

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その決断は必然のようにも見える。ベオウルフは、自らの部族であるイェーアト族の絶対的なリーダーだ。はぐれた竜(『ゲーム・オブ・スローンズ』を想起してほしい)が王国を恐怖に陥れ、人々を殺し、町を焼き払っている。詩が記録するベオウルフの人生の目的そのものが、誰にもできない脅威の克服だった。彼はグレンデルを倒した。さらに、より手強い敵であるグレンデルの母も打ち倒した。

ベオウルフがこの竜にも立ち向かわないなどということがあるだろうか。それこそが彼の成すべきことなのだ。

戦いに赴く前、彼は自らの意図を明確に宣言する。

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Bēowulf maðelode, bēot-wordum spræc

nīehstan sīðe: "Ic genēðde fela

gūða on geogoðe; gyt ic wylle

frōd folces weard fæhðe sēcan,

mærðu fremman

ベオウルフは語り、最後の誓いを立てた。

「若き日、私は幾度も命を賭けてきた。

今や老いたが、民の王として

勝利の栄光を求め、

この戦いに挑もう……」

シェイマス・ヒーニー訳

多くの読者は、この場面を英雄の旅のクライマックスとして受け止めるだろう。卓越性に鍛え上げられたベオウルフは、最後まで勇敢であり続け、民のためにすべてを賭ける覚悟を持っている。

しかし、英雄譚ではなくリーダーシップの観点から見ると、この場面はより複雑な様相を呈する。実際、「勝利の栄光を求め」という言葉に違和感を覚えた読者もいるかもしれない。

竜が現れた時点で、ベオウルフはすでに50年間王として君臨していた。もはや単なる戦士ではない。王国の守護者なのである。その責任は、若き英雄として担っていたものとは根本的に異なる。主たる任務は、もはや自ら脅威を打ち倒すことではない。王国が存続し、繁栄することを確保することなのだ。

この違いは決定的に重要である。そしてそれは、叙事詩の英雄に限った話ではない。

英雄的行動がスケールしなくなるとき

リーダーシップ開発の多くは、有能な個人をより有能にすることに焦点を当てる。より戦略的に、より影響力を持ち、より決断力があり、プレッシャー下でより効果的に振る舞えるよう支援する。

だが上位レベルでは、異なる要件が浮上する。もはや問われるのは、リーダーが重要な問題を解けるかどうかではない。自分がそれを「自ら」解くことが、経験、知恵、エネルギーの最も価値ある投入であり、最善かつ最高の使い方なのか、という点だ。

多くの組織で最も高い地位に昇りつめるリーダーは、困難な状況に踏み込み、結果を出すことで評判を築いてきた人物、つまり英雄である。信頼されるディールメーカー、再建のスペシャリスト、ビジネスを呼び込むレインメーカー、技術の達人、ここ一番で必ず結果を出すクローザーとなる。

こうした能力は価値がある。同時に、それを手放すのは難しい。

その結果、多くの成功したリーダーは、任務が変わった後も長く、英雄的な実行者として課題に向き合い続ける。組織がシニアリーダーに求めるのは、個人の英雄ではなく、制度を築く担い手として考え行動することなのだ。

最近、シニアエグゼクティブのグループと仕事をしていたとき、人気の「プレイングマネージャー」という概念が話題に上った。ダイナミックで高成長の組織は、直接貢献しながら同時に他者を育成できるリーダーを求め、必要としている。このモデルは理にかなっている──ある時期までは。

しかし、エグゼクティブの責任が増すにつれ、プレーすることとコーチすることの区別はますます重要になる。まさに適切な瞬間にフィールドへ踏み出すリーダーは、計り知れない価値を生み得る。だが、毎回フィールドへ踏み出すリーダーは、他者の成長の機会を奪ってしまう。

ここで『ベオウルフ』の物語が輝く。

中心となる問いは、ベオウルフが竜と戦うのに十分勇敢だったかどうかではない。もちろん勇敢だった。

より興味深い問いは、そもそも竜と戦うべき人物が彼だったのかどうかである。

誤った問い

言い換えれば、ベオウルフはこう問うているように見える。

私はまだ竜と戦えるのか?

より重要だったのは、次の問いかもしれない。

誰が竜と戦うべきなのか?

最初の問いは個人の能力に根差している。2番目の問いは組織の能力に根差している。

この違いから想起されるのが、多くの成功者は年齢を重ねるにつれて職業上の役割に適応するのに苦労するという、アーサー・ブルックスの主張である。成功者は、素早く考え問題を解く「流動性知能」が衰えていくにもかかわらず、それを過大評価しがちだ。一方で、「結晶性知能」すなわち知識、経験、判断、知恵の真の価値を過小評価する。キャリア初期の成功は、個人のパフォーマンスから生まれることが多い。複雑性を掌握し、競合よりも巧みに実行することだ。後期(そして長期的で、レガシーを築く)成功は、判断力、視座、そして他者を教えることにかかっている。

課題は、人生の早い段階で成功に導いた流動的な能力が、リーダーとして成長するにつれて成功を制限する習慣になりがちだということである。

ベオウルフの最後の戦いは、まさにこの枠組みで読むことができる。彼の勇気は依然として揺るぎなく、能力も相当なものだ。しかし、詩が痛切に私たちに考えさせるのは、その決断が、彼が守る責任を負っていた王国の長期的な持続可能性に与えるコストである。

詩の結末は示唆に富む。ベオウルフは竜を倒す……しかし、その過程で命を落とす。未来は突如として不確かで、不穏なものになる。

後継者問題

ベオウルフには後継者候補がいたようだ。ウィーグラーフという若い戦士で、ベオウルフのほかの家臣たちが逃げ出すなか、忠誠を守り抜いた人物だ。ウィーグラーフは危機を救う手助けをするが、より深い問題を解決するには遅すぎた。この詩の悲劇は、ベオウルフが死ぬことではない。50年にわたる安定した統治を享受した王国が、それでもなお、ただ1人の老いた英雄に危ういほど依存していたということである。

詩が終わりに近づくにつれ、イェーアト族の敵はすでに国境に集まりつつある。弱みと好機を嗅ぎつけたのだ。壮大な火葬の薪が組まれる。悲嘆と歌がある。偉大な王であり戦士であった人物への称賛がある。

だが、不安もある。ベオウルフ個人の遺産は確かなものとなった。そうでないのは、王国の未来である。

英雄は成功した。

制度は、そうではないかもしれない。

『ベオウルフ』は、シニアリーダーの最重要責務の1つが、私の友人でDevoted Healthの創業者兼CEOであるエド・パークが「複利で増える能力(compounding capability)」と呼ぶものを生み出すことだ、という点を示している。優れたリーダーは、今日の問題を解くだけではない。明日の問題を解くための組織の能力を加速させる。彼ら自身がそこに居合わせないかもしれない問題に対してさえも。

ゆえに、「自分はどうすれば最も価値を加えられるか」と問うのではなく、真のリーダーは(英雄との違いとして)「どうすれば他者が価値を生み出せるよう支援できるか。どうすれば彼らをより良くできるか」と問う。自分自身が成し遂げたことで測られようとするのではなく、自らが築き、残していく人材、仕組み、文化、能力の強さによって評価されたいと望むのだ。

最良のリーダーは、自分ひとりであらゆる竜を倒したから記憶されるのではない。

次の竜が現れたとき、別の誰かが準備できていたからこそ、記憶されるのである。

forbes.com 原文

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