クリスマスキャロルの歌詞では「快適さ」と「喜び」はセットになっている。だが研究は、そうではないと示している。
高い成果を出すリーダーの多くにとって、快適さ(安定、確実性、コントロール)を追い求めることが、仕事人生の中心的な原理になっている。理屈は直感的だ。摩擦を減らし、予測可能性を高めれば、成果はついてくる。だが、この理屈が見落としているのは、快適さと喜びは近い存在ではないということだ。実務的な意味で、両者は対立する。
この違いは、ここ数年でかつてないほど重要になっている。不確実性が加速する時代(AIによる破壊的変化、組織の流動化、深さよりスピードを評価する市場)において、リーダーたちは対処法として快適さにいっそう依存している。そして多くの場合、その結果は、自分が築いた成功と、感じられるはずだと期待していた満足感との間に大きな溝が生まれることだ。
喜びの本当の対極にあるもの
一般には、喜びの反対は悲しみ、あるいは苦しみだと考えられている。だが、ブランド戦略家であり、色彩・デザイン心理学の専門家、そしてJoy First®の創設者でもあるJ・ニコール・スミスは、より正確な診断を提示する。ポジティブ心理学、神経科学、行動経済学にまたがる、喜びを軸にしたマーケティングと組織に関する20年に及ぶ研究を持つ彼女によれば、喜びの対極にあるのは「恐れ」だ。
「私たちの意思決定の多くは、不快を避け、恐れから離れようとするために行われています」とスミスは最近、筆者に語った。「それでは喜びは生まれません」
神経科学もこれを裏づける。スタンフォード大学の講師で、『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラー『Positive Intelligence』の著者でもあるシルザド・シャミンは、50万人超の参加者を対象に因子分析の研究を行い、内面に潜む10の「サボター(妨害者)」を特定した。これは、自動的に立ち上がる恐れベースの思考パターンで、強みに見せかけながら実際にはそうではないものだ。
リーダーに最も多い4つは、コントローラー、スティックラー(完璧主義者)、ハイパーアチーバー、ハイパーラショナルである。いずれも本質は、野心の衣をまとった恐れの反応だ。彼の研究は、これらのパターンがもつ破壊力のために、人が真の潜在能力に近い成果を出せるのは20%にすぎないこと、そしてスタンフォードでの彼の講義に参加する経営幹部の約95%が、これらのサボターが自分のパフォーマンスに重大な害を与えていると結論づけることを明らかにした。
シャミンが「サボター」と呼ぶものを、スミスは「恐れに駆動された意思決定」と呼ぶ。言葉は違うが、動力学は同じだ。そして、その最も確実な犠牲になるのが喜びであり、持続可能な成功までもが巻き添えになる。
なぜ「快適さ」は状況を悪化させるのか
恐れが喜びの真の対極にあるのだとすれば、快適さは最も説得力のある偽物になる。私たちは恐れからの解放として快適さを追い求める。たしかに、短期的にはうまくいくことが多い。だが、コントロール、予測可能性、最適化によって得られた快適さは、構造的に喜びが入り込みにくい条件をつくり出してしまう。
スミスの研究は、彼女が「ジョイ・コード」と呼ぶものを明らかにしてきた。これは、個人が確実に喜びにアクセスできる「井戸」のようなものだ。ジョイ・コードの中身は、つながり、快楽、目的などが挙げられており、驚くものではない。だが彼女が言うには、より意外なのは、最も力強く長く続く喜びの一部は、不快の向こう側で訪れるという点である。
目標を達成する前にも予期的な喜びを感じることはあるが、頂上からの景色を十分に味わうには登りを耐え抜かなければならない。突破の陶酔には、混沌をくぐり抜けることが必要だ。
「本物の畏敬や自由といったジョイ・コードは、コントロールを手放し、不快さを受け入れる覚悟の向こう側でほぼ必ず現れます」とスミスは筆者に語った。変数を管理することでキャリアを築いてきたリーダーにとって、これは強い挑発となる。成功を可能にしたその能力こそが、いまや「それが報われる感覚」へのアクセスを制限しているかもしれないのだ。
これは抽象論ではない。『Cognitive Science』誌に掲載された研究は、およそ1万4000人を30年にわたって追跡し、「恐れ(ネガティブな結果を予期すること)」が意思決定に与える影響は、ポジティブな結果の見込みよりも大きいことを示した。さらに人間の多くは損失回避に非常に傾きやすい。つまり、何かを失う恐れは、得たいという欲求よりも約2.5倍強く感じられる。
言い換えれば、リーダーは神経学的に、喜びを求めるより快適さを求めることに重みづけするよう配線されている。このバイアスを織り込まない人は、スミスが「キュレーションされた喜び」と呼ぶ状態へ、自分を最適化していきがちだ。外からは豊かに見える一方で、コントロール、安全、予測可能性のためにあまりにも慎重に整えられているため、驚き、自発性、そして快楽、畏敬、成長、コミュニティ、信仰といった、あまり称賛されないジョイ・コードの多くが、ほとんど入り込めなくなる。
ハイアチーバー特有の罠
この問題には、外から見れば非常にうまくいっているリーダーに特有の形がある。
スミスはそれを「コントロール対意図性」の戦場と位置づける。彼女のJoy First Auditが浮き彫りにする中心的な緊張のひとつだ。意図性は本来、美徳である。目的に基づく選択、持続可能なペース、価値観との整合を可能にする。だが高い成果を出すリーダーでは、意図性がコントロールへと硬直化しうる。そしてコントロールは、規模が大きくなるほど、イノベーションへの脅威であるだけでなく、極めて効果的な「喜び抑制システム」として機能する。
これは、筆者が支援するリーダーたちにも一貫して現れる。成功が空虚だと語りがちな人ほど、日々が分刻みで綿密に設計されている。あらゆる入力が最適化され、あらゆる出力が測定され、あらゆるやり取りに目的がある。驚くほど効率的な人生を築くことは可能だが、その一方で、喜びが呼吸できる余白となる「予定外」や「非生産的」な瞬間が、ほとんど残らない。
筆者がシニアリーダーに用いているLead in 3Dの枠組みでは、根本問題をこう名づける。多くのハイアチーバーは、実際にはシステムであるものを、直線的(このタスク、次にあれ。この最適化、次にそれ)に運用するよう訓練され、報われてきた。
直線的アプローチは、あるところまでは効率的だが、構造上、逓減に弱い。複利的な成果(ME、WE、WORLDの次元が協調して動くときに生まれるウィンウィン)は、全体のシステムを見るために十分に引いて捉えられるリーダーにしか得られない。
喜びも同じように作用する。悲嘆の中にも勝利の中にも、混沌の中にも静けさの中にも現れるこの自己増殖的な喜びは、日々の不格好な実践のなかで進化することを許すリーダーほど手にしやすい。喜びを、理にかなった最適化された活動に閉じ込めてしまうのではなく。
「到達点」ではなく「薬」としての喜び
スミスが提示する見方の転換は、じっくり考える価値がある。喜びは目的地ではない。彼女は、喜びはToDoリストの終点で待っている報酬ではない、目標を達成したときに訪れる感情ではないと主張する。喜びはむしろ薬であり、困難の後にだけでなく、困難の最中にも存在する資源だという。
「悲しみの中にいながら喜びを感じることもできます。怒っていても喜びを感じられます」とスミスは筆者に語った。「喜びは状態であり、ほかの状態と共存できるのです」。これは、多くのリーダーが想定している定義より厳しく、同時に有用でもある。喜びが「状況が整うこと」に依存しないという意味だからだ。まさにそれが、喜びを贅沢品ではなくリーダーシップの資源にしている。
この区別は、「差し引くべきもの」も明確にする。多くのリーダーが手放すべきなのは、喜びはポジティブな感情だという前提である。今回の対話から得られた洞察は、これを真正面から組み替える。喜びは、状況や気分に左右されない、価値の方向性に中立で常に利用可能な燃料源に近い。識別し、採取することができる。
喜びはリーダーに、厳しい四半期を貫く粘り強さや、どうにもならない決断の最中に得られる安堵を与え、システムが人間らしさを奪おうとするほどの圧力がかかる環境でも、人として踏みとどまるための持久力を支えてくれる。ポジティブであることを要件から外せば、喜びははるかに強力なものになる。許可も完璧な条件も待たない、再生可能な資源になるのだ。
実践
Joy First Audit(活力、安全、つながり、目的、美的感覚などの次元にわたって喜びのベースラインデータを集めるためのスミスのツール)は、診断から行動へ移りたいリーダーにとって有用な出発点になる。あなたが他者にどう受け止められているかを測る360度評価と違い、このツールは、あなたのシステムのどこに喜びがすでに存在しているか、そして重要なことに、どこで喜びが侵食されているかを可視化する。
最も強い(そして最も弱い)ジョイ・コードや喜びの次元に応じて、シンプルで取り組みやすい次の一手がある。畏敬と自由の周辺に特定のギャップが出たリーダーに対して(筆者の結果もそうだったが)、スミスの処方は、ハイアチーバーの本能すべてに逆らうものだ。意図的に不快を求め、設計を減らし、少なくとも1日1回は最適化されない瞬間を残す。よりよい「喜びの結果」を得るには、より小さく、よりゆっくり進むことだ。
いま最も注目に値するリーダーは、最も洗練された喜びの実践をしている人たちではない。喜びをつかむ手を緩めることができる人たちであり、そうしたときに何が訪れるのかを発見できる人たちである。



