「プラザ合意」後の失敗
――1985年のプラザ合意で、アメリカは経常収支の赤字を何とかしようと、為替介入でドル高を是正する政策協調を日本に求めます。プラザ合意前は1ドル240円前後だったのが、円高になり、1年後には150円台になります。
また、バブルが起きて、その崩壊から長い敗戦の時代に突入します。プラザ合意はアメリカでは「成功物語」として語られています。一方で、中国は日本のマネー敗戦を「失敗物語」と見ているものの、中国も同じ失敗を現在繰り返している。輸出主導型経済システムから脱却できないでいる点です。改めて、プラザ合意は、日本経済を引っ張ってきた製造業の輸出主導型経済に転換を迫るものだったけれど、それに対応できなかった大きな敗戦と感じました。
船橋:プラザ合意は、バブル引き起こした一つの背景だと思います。要因はもちろん他にもいろいろあると思いますが、プラザ合意で(円高になり)輸出型産業主導から内需型に変えていく必要があった。でも、その構造改革が進まなかった。新規のビジネスなど、本来であれば、もっと投資されるべきところにお金が流れず、土地と不動産に向かってしまいました。
アメリカが構造改革をしろと迫り、日米構造協議で400項目を突きつけられました。アメリカに言われていることは、実は日本の国内でそれまで出ていた改革案だったり、アイデアだったりしていたものを、アメリカがそれを使って言ってきているわけです。しかし、わかっているけれどもできない。
――なぜできなかったんでしょう。
船橋:一つは、自民党政治の問題です。既得権益が集票マシンであって、国家を保護するという意味合いがある。その既得権益というのは、戦後の20年、30年という成長物語の中でつくられたものであり、「成功の物語を変える必要ない」という発想が国民の中にある。それが、1980年代以降の日本です。
――1986年に、中曽根首相の私的諮問機関(座長:前川春雄 元日銀総裁)がまとめた日本の経済構造改革案「前川レポート」が、連日、メディアで大批判をされていたのを覚えています。メディアだけでなく、世論が猛烈に批判していたのですが、今、見ると、中身は当たり前というか、むしろ今の国民が求めているようなことが書いてある。この構造改革をやらなかったから、金融緩和のバブルを生み出し、その後、「失われた30年」という長期の低迷に沈んでいったと、今は定説のように言われています。
船橋:構造改革が大店法の緩和(大型ショッピングモールの制限緩和)などにとどまったのは、構造改革の前に、国鉄・電電公社・専売公社の民営化という大仕事で、当時の政権の政治資本を使ったことにあると思います。「大きな改革をやったんだ」という達成感みたいなものがあり、さらに構造改革をやっていくというところまではいかず、急にしぼんでいったと思いますね。


