「これからは、“人の手”がよりプレミアムな価値をもたらすでしょうね」
これは、世界的に有名なバーテンダーである後閑信吾さんと、日本のみならずアメリカや台湾で活躍するシェフ米澤文雄さんと会話していた際に聞いたフレーズ。話題は、これからの飲食業界について、だった。
「AIや調理ロボットが進化することで、一定水準の料理やサービスはより効率的に提供できるようになる。オペレーションはどんどん省人化されて、リーズナブルで便利な飲食店は増えていくはず」という米澤さんと、「人が料理をつくり、人がサービスを行い、人が体験をデザインするレストランは、よりプレミアムな存在になっていくだろう」という後閑さん。これからは安価でカジュアルな店と超高級店の、二極化がより進むだろう、というふたりの見立てであった。
近年、私はラグジュアリーについて考える機会が増えている。食、アート、工芸や旅のあり方など……さまざまな取材を重ねるなかで感じるのは、ラグジュアリーの定義そのものが変わりつつあるということだ。
かつてラグジュアリーとは、希少な素材や高価な製品を意味した。しかし今、人々が本当に価値を見いだしているのは、その背景にある時間や技術、そして人の営みなのではないだろうか。

そんなことを実感したのは、先日、東京・八雲茶寮で開催されたシャンパーニュメゾン「ボランジェ」によるランチイベントに参加したときのこと。1829年創業の「ボランジェ」は、シャンパーニュ地方でも独自の存在感を放つメゾンとして知られるが、その理由は味わいだけではない。このメゾンを特徴づけているのは、効率化の時代にあっても彼らが手放さなかった数々の手仕事だ。
19世紀以降のシャンパーニュ地方では、品質を安定させるための技術革新が進んできた。温度管理に優れたステンレスタンクの導入、自動化された工程、合理的な熟成管理。どれも品質向上に貢献してきた重要な進歩である。
しかし「ボランジェ」は、その流れのなかでも独自の道を歩んできたようだ。ランチに参加していた「ボランジェ」ファミリー6代目のシリル・ドゥラリュは語る。

「現在、多くのシャンパーニュメゾンがステンレスタンクを使用するなか、ボランジェは今なお数千本もの古樽を保有し、ワイン造りに活用しています。樽でワインを熟成させることで、奥深く複雑なアロマ、クリーミーなテクスチュアを生み出すことができるからです」
そのためには当然、樽を維持する技術も必要になる。
「樽は常に状態を確認し、修復し、手入れをしながら何十年も使い続けます。そのため、『ボランジェ』には専属の樽職人がいます。その仕事は、表舞台に出ることは少ないですが、ボランジェの味わいを支える重要な基盤となっています」



