このように考えるとどうだろう。私を含め読者の皆さまは高市首相の部下であり、高市首相が社長を務める企業の役員だとする。高市首相がある役員会議で、日本をより強くできるよう案を出しなさい、と言われたら皆さまはどのような案を出すだろうか? 筆者であれば「より強く」と連想しうるものは外交力の強さなどであるので、高市首相のこの課題に、より実践的なシーンで使える英語教育の為の具体案を提示するかもしれない。皆さまと比べてどうだっただろうか。中には軍事力を連想した方もいるのではないだろうか。もし私の提案と読者の皆さまの提案が大きく異なっている、または方向性が大きく異なっているのであれば、この「強く」という単語は行間が広く、空気が読みづらい単語である、と言えるのだ。
日本語のスピーチでも同じ「強さ(強く)」を使っていた。
皆様と緊密に連携して、これまでの日 - ASEAN協力を一層発展させ、日本とASEAN、共に強く豊かになるための取り組みを進めていきます。
この文章においても「強く」という単語を同じように使用していた。しかし、何を「強く」していきたいのか、不明瞭さが残ってしまっている。一方で、強さと併用された「豊かな」はどうだろう? 先ほどと同じように例えば首相が役員会議で、日本がより豊かになるよう案をだしなさい、と言われればみな同じような方向性で考えてくるのではないだろうか。
この「豊かな」という単語だが、英語のスピーチで同じようなニュアンスを伝える際「prosperous(繁栄)」という単語が使われていた。「豊かな」という単語よりも「繁栄」という単語はさらに行間は狭まり分かり易いように感じる。もし首相が日本がより繁栄するよう案を出しなさい、と言われればさらに回答の方向性は狭まるだろう。なぜならば、「強い」という単語と比べると行間はより狭く、聞いている人もあぁ首相はこのようなイメージを伝えたいんだな、と想像しやすい単語となるからである。
英語でコミュニケーションを行う場合はハイコンテクスト文化の文脈で整えられた文章をローコンテクスト化する必要がある。なぜならば、単純に言っていることが伝わり辛くなるからだ。この差に取り組む為には、コミュニケーション文化の差がある事を理解し、その調整力を養う取り組みが必要になる。
今回のようなスピーチは一対多数の挨拶・プレゼンだったので、このようにハイコンテクスト流に英単語を使ったところでコミュニケーションが大きく遅延したりすれ違ったり、ということにはならない。しかし日常的に英語でコミュニケーションを取る場面でこのように行間の広い単語を多用することはコミュニケーションの遅延やすれ違いを引き起こしてしまいやすいのである。


