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英語で語るという選択──国際舞台で生まれる心理的効果
高市首相は昨年のASEAN首脳会談で、そもそも通訳を介して行うことができた冒頭あいさつにおいて約3分間、英語での冒頭挨拶を行った。まず初めにタイ王妃への追悼の意を伝え、その後、ASEAN関係各所への謝辞などを一通り述べ、本題へと話を進めた。英語の挨拶の後、細かな詳細を述べる際は「(私の英語だと)時間がかかるため」と説明を置き、通訳を介し日本語で展開された。
日本語で済ませられる挨拶をあえて英語で行うことは、ASEANのリーダー達に対し、心理的距離の短縮を大なり小なり与えることができたと考えたい。異文化間の国際コミュニケーションの円滑化を図る上では、デメリット以上にメリットが上回っただろう。文化が異なる者同士の国際コミュニケーションにおいては、相手との行間を埋めていく作業が必要となり、事実上の共通言語となっている英語で挨拶を行うことで、ASEAN首脳会談のやり方に歩み寄ろうとする姿勢を見せることに繋がったからだ。
筆者はしばしば「行間」をテーマにするが、ここでいう行間とは、対人コミュニケーションにおいて言語化はされていないものの、コミュニケーションにおいては必ず存在している「相互理解」を指す。すなわち、日本語で「空気を読む」、という時の「空気」である。空気を読むとは、相互理解を読み解くことといえるのだ。
冒頭の挨拶を英語で行ったことで心理的距離の短縮を縮めることができたのは、相互理解がその分前進し、行間を埋められたということにほかならない。
ビジネスシーンでは、英語を不得手と感じている日本人が多い。このような方は、自分の英語が「ダメ」だから、英語のスピーチなど、チャレンジする考えさえ起きない。少なくとも私のクライアントの多くが、あのような公の場で一人で英語による挨拶を行うことに強い抵抗を覚えるに違いない。
しかし、自国のリーダーがネイティブ級ではなくとも、自らの言葉で英語に向き合い、公の場でその役割を果たす姿を目にしたことで、ASEANとの相互理解はその分の前進を得、さらには首相に対して肯定的な印象を抱いた人は少なくなかった。同じようにビジネスシーンにおいても、リーダー的な立場にいる人が例え自身の英語が「ダメな」英語だと感じていても、時に「恥を忍んで」英語で挨拶を行うことは、国際的な企業間の行間、相互理解を前進させ、その姿を見るものたちにとっての励ましになるはずだ。


