イランが得たものは
覚書の文言は、この選択によって生き延びたイランが何を得たのかを示している。覚書はイランとレバノンにおける停戦を成文化し、ホルムズ海峡の再開を約束している。ただし、海峡通行料が無料なのは60日間限定で、恒久的なものではない。この制限についてはほとんどの報道が触れていない。また、合意が履行され次第、米財務省はイランの石油輸出に対する制裁を解除し、推計1000億~1200億ドル(約16~19兆円)とされるイランの凍結資産を解放する。
一方で、この合意は難しい問題を何ひとつ解決していない。ウラン濃縮活動の制限、ウラン備蓄の取扱い、制裁緩和の対象については、覚書締結から60日以内に協議するとして先送りされた。核開発計画は停止されるが、解体されるわけではない。高濃縮ウランは国外へ搬出されることなくイラン国内に留め置かれ、所定の場所で監視の下に希釈処分される。ミサイル部隊は軍事紛争を無傷で生き延びた。イランは戦闘こそ放棄したものの、実質的な譲歩はほぼ一切していない。
イランは苦い経験から教訓を学んだのだ。2015年に米英独仏中ロの6カ国と締結した核合意をイランは順守したが、その後、米国の離脱を見届ける羽目になった。より広範囲の傾向としては、2007年4月にナンシー・ペロシ米下院議長(当時)がシリアの首都ダマスカスを訪れてバッシャール・アサド大統領(当時)と握手を交わしたものの、4年後にシリア内戦が始まると米国はアサドに退陣を求めた。
イラン指導部が今回の交渉に引っ提げてきた教訓はシンプルだ。まずは救済を得る。計画の放棄は、もし受け入れるとしても、後回しにする。
「抵抗の枢軸」が交渉の場に
今回、イランは国家として交渉に臨んだのではない。集団の代表として交渉した。中東各地でイランが支援する反米武装組織は、レバノンのヒズボラも、イエメンのフーシ派も、イラクの人民動員隊(PMF)も今なお健在であり、覚書にはレバノン戦線が対象として明記されている。戦略立案の専門家が注目するのは、まさにこの点だ。
長年にわたり西側はこうした中東の反米ネットワーク、いわゆる「抵抗の枢軸」を、武力によって弱体化させるべき一団として扱ってきた。合意文書にレバノンが明記された事実は、これをむしろ交渉の枠組みとして扱うことを意味する。米シンクタンク・国際政策センターのシニアフェロー、シーナ・トゥーシが指摘するように、イラン指導部は今回の合意を、戦時の立場を放棄するものではなく、強化するものと位置づけている。


