【重要】会員機能一時停止とサイトメンテナンスのお知らせ

経済・社会

2026.06.23 08:15

なぜ、北朝鮮の核開発を止められなかったのか 米専門家に抜け落ちた視点

Creativa Images - stock.adobe.com

Creativa Images - stock.adobe.com

戦略国際問題研究所(CSIS)のビクター・チャ氏は最近、外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」への寄稿などで、北朝鮮の非核化政策の失敗を認め、軍縮・軍備管理への方向転換を唱えている。チャ氏は失敗の原因として、北朝鮮の核保有の意思を過小評価したことや、米政府の方針が対話と抑止の間で揺れ動いたことなどを挙げた。

また、元国務省当局者のジョエル・ウィット氏も2025年10月に発表した著作「Fallout」(イエール大学出版局)で失敗の理由について詳述している。こちらは米国の強硬な主張が、米朝対話の失敗につながったなどと指摘している。

2人とも米政府で実際に北朝鮮核問題を担当した。チャ氏は2004年から2007年まで、ブッシュ(子)政権のホワイトハウス国家安全保障会議のアジア部長で、6者協議にも参加した。ウィット氏はクリントン政権当時、1994年の米朝枠組み合意後に北朝鮮核問題の実務を担当していた。

2人は当局者だった以上、米政府の失敗を公言することは、5月の米中首脳会談で「北朝鮮の非核化という目標を中国と共有した」という米政府当局者たちに迷惑をかけると受け止められかねない。それ以上に「北朝鮮にだまされた」として、安易に軍縮を唱えるのは無責任ではないか。

確かに米国は日韓に比べ、北朝鮮についての衛星情報や電波情報で圧倒的な能力を持っていたが、北朝鮮という国に対する理解が不足していた。朝鮮戦争後初めて米朝が高官接触を始めたのは1992年1月。ニューヨークでのアーノルド・カンター国務次官と金容淳朝鮮労働党書記による会談からだった。

米国外交官らは、会議で延々と労働新聞の社説のような主張を繰り返す北朝鮮要人にびっくりした。当時の米側出席者だったカートマン元朝鮮半島和平協議担当特使によれば、金容淳氏はひたすら米国の敵視政策を批判し続けた。カートマン氏は「北朝鮮は我々ではなく、平壌に向けてしゃべっていた」と語っていた。

米国は、枠組み合意を巡るジュネーブ協議や米中両国と南北朝鮮による4者会談、その後の6者協議などで北朝鮮と何度も顔を合わせた。当時の関係者らの証言をひもとくと、北朝鮮の狡猾さに加え、米国の傲慢で力任せの外交が目についた。94年の枠組み合意では、プルトニウム型の開発に焦点を当て、すでに北朝鮮が開発を始めていたウラン濃縮型の開発には十分目を向けなかった。

当時の北朝鮮は「苦難の行軍」と呼ばれる深刻な食糧不足と経済の崩壊に苦しんでいた。米国は枠組み合意で2002年までに北朝鮮に軽水炉を与えるという約束をしたが、北朝鮮が2002年まで存続していないと考えた関係者も少なくなかった。

次ページ > 北朝鮮が信用ならない国であることは誰の目にも明らかだ

文=牧野愛博

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事