だが、AIが自ら判断し、モーターを動かし、人の生活空間に踏み込むようになった瞬間、そこには機能安全とリアルタイム性という、これまで自動車や医療機器などに課されてきた要求が、あらゆるデバイスに生まれる。
フィジカルAIの時代とは、ごく普通のコンシューマー機器までもがミッションクリティカルな存在へと変わる時代だ。だとすれば、QNXの領域は、自動車というニッチな領域から、あらゆるデバイスという広大な世界へと一気に広がる。複数のシステムを一つのチップ上に安全に同居させ、AIと制御系を切り分けながら、それぞれを確実に動かす。その最も基層のインフラとして、QNXが機能する未来があるのではないか。
ジアマッテオの答えは、その投資が一夜にして生まれたものではない、というものだった。止まることの許されない心臓ポンプ。社会のなかで人と関わるロボット。そうした一般組み込み市場に向けた製品開発を、彼らは長く積み上げてきた。自動車という分厚いクリティカルマスを、新市場へ投資するための援護、彼の言葉で言えば“エアカバー”として使う。成熟事業のキャッシュフローが、まだ稼がない事業を育てる。この循環を、QNXのチームは事業の規律として回してきた。
この方向を裏づけるように、QNXはエヌビディアのIGX ThorおよびHalos Safety Stackとの統合を進めている。エッジAI、ロボティクス、医療、産業システムといった領域で、リアルタイム性とセキュリティを担う基盤として位置づけられつつある。QNXが得た自動車業界での信頼は、フィジカルAIの世界でも認められつつある。
見えない世界での成長余力
BlackBerryにとって、手のひらの上で輝くブランドでなくなったことは、単なる喪失ではなく、新しい価値が生まれる条件だった。かつて象徴だったキーボード付き端末が役割を終えたからこそ、その内側にあったセキュリティ機能とリアルタイム性が、自動車の、やがてはあらゆるデバイスの見えない基盤として広がる余地が生まれた。
すべてがつながり、AIが物理世界に宿るこれからの時代、本当に重要な価値は設計上、誰の目にも触れない。ドライバーもユーザーも気づかない安全とセキュリティの最基層に、それは宿る。ブランドとして姿を消すほど、インフラとしては大きくなる。
ジアマッテオがこの数年で示したのは、BlackBerryが本質的に持っていた成長のタネを純粋に育てることだった。
多角化が生んだ資産を減損として帳簿から消し、失敗を失敗と認める会計の規律を取り戻した。将来性が見込める事業も、中期的に規模が見込めないようならば切り離した。そして成熟事業のキャッシュフローを高めることで、ポートフォリオは成長性の高い領域に集中した。
黄金時代を知らないジアマッテオだからこそ、事業ポートフォリオの本質を見直し、過去に縛られずに実行できたのだろう。手のひらから消えたブランドは、しかし我々の目線からは直接見ることのないインフラとして、いま静かに手のひらのデバイスで動いている。


