「もっと周囲に配慮するように」と促されながら、人を限界まで追い込み続けて昇進の機会が与えられるなら、そこから伝わるメッセージは明白である。休暇取得を勧められた「家族思いの人」が復帰後に機会を減らされるなら、メッセージは明白である。思いやりが企業理念に掲げられていても、業績評価の場で一度も話題に上らないなら、やはりメッセージは明白なのだ。
人は、言葉で言われたことではなく、自分が経験した文化を信じるものだ。ブロカルチャーを乗り越えるには、何が評価されるかを変える必要がある。共感や思いやり、敬意、インクルージョン(包摂性)を、リーダーの評価基準と日常の行動指針に定着させる必要がある。
つまり、人を疲弊させることなく大きな成果を生むリーダーを認めることだ。目標を達成したかどうかだけでなく、仕事がどのように進められたかに目を向けることだ。持続可能で、人間中心のパフォーマンスを、「評価に値するほど」見える形にすることだ。そして、人を大切にすれば利益は自ずとついてくる、という考え方を信じることでもある。
「ブロカルチャー信奉者」たちが問題なのではない
誰も、傷つかないふりをして自分を証明する必要はない。誰も、話を聞いてもらうために部屋で一番大きな声を張り上げる必要はない。チームが正直さと自己防衛のどちらかを選ばされるべきではない。そして機会は、適切な活動に参加しているか、お気に入りの出身母体(大学や前職など)であるかどうかで配分されるべきではない。
ブロカルチャーの支配が弱まれば、誰にとっても貢献の余地が広がる。
いま本当に必要な仕事は、人間中心のリーダーシップが当たり前である職場環境を築くことだ。それこそが、これからの働き方に求められるリーダーシップである。だがそこへ至るには、組織はブロカルチャーが顔を出している瞬間を見極め、自分たちが目指す対抗文化について明確なメッセージを発する必要がある。価値観を周知し、その価値観に沿って振る舞うこと。頭だけでなく心で率いるリーダーに報いること。リーダーが、チームの全員に対して包摂的かつ協力的であり、チームの誰に対しても深く関与する姿勢を体現すること。そして、人材がどこで流出しているのか、どのような文化的問題がその離職を招いているのかを、注意深く見ることだ。
ブロカルチャーが恐れと離職を生むなら、組織は代償を払う。思いやりとつながりに基づくリーダーシップが日々の実践に根付いてこそ、強く持続可能な職場は築ける。それは、人がありのままの自分で優れた仕事をし、誰もが等しく価値ある存在として見られる場所である。
見栄も、虚勢も、集団浅慮(グループシンク)も、「何が何でも勝て」も、敵/味方の二分法もいらない。ただ、本物の人間がそこに参加し、互いの貢献を尊重し、過程で支え合う。それは、いつだって学生ノリのパーティーより優れている。


