頭を回転させると、慣性により内リンパが遅れて動き、クプラが偏位して有毛細胞が曲げられる。すると有毛細胞は脳に電気信号を送り、回転の方向と速度を伝える。この仕組みは迅速かつ正確で、見事に調整されている。しかし頭の回転を止めた後も、内リンパはそれ自体の慣性によってしばらく動き続け、頭が静止しているにもかかわらず有毛細胞を偏位させ続ける。この短いタイムラグこそが、回転を止めた後も部屋が回り続けるように感じる理由である。
一方、耳石器官は重力と直線加速度を感知する役割を担う。卵形嚢と球形嚢は互いに90度の角度で配置されており、頭がどのような姿勢であっても、少なくともどちらか一方が地球の引力を捉えるようになっている。その「秘密兵器」が耳石(じせき)である。これは有毛細胞の上にあるゼラチン状の膜に埋め込まれた微小な炭酸カルシウムの結晶だ。頭が傾いたり加速したりすると、これらの結晶の重さが下の有毛細胞を曲げ、力の方向と大きさを伝える。
これは極めて繊細なシステムであり、それゆえに良性発作性頭位めまい症(BPPV)は、この仕組みを理解する上で非常に示唆に富む症例となる。BPPVは臨床現場で最も多く見られるめまいの原因であり、耳石結晶が卵形嚢から剥離して半規管の1つに移動することで発生する。
いったん半規管に入ると、結晶は管が本来想定していない形で重力に反応し、現実には頭がまったく動いていないにもかかわらず「動いている」という信号を脳へ送る。その結果、ベッドで寝返りを打ったり、高い棚を見上げようと頭を後ろに傾けたりといった日常的な動作で、短時間だが激しい回転感覚が引き起こされる。影響を受けた半規管から執拗に運動信号を受け取った脳は、実際には起きていない動きを補正しようとして、「眼振(がんしん)」と呼ばれる補正的な眼球運動まで生成してしまう。
人間の脳が「信じるように作られた」嘘
人類史の大部分において、前庭系に騙されることは現実の危険に対する正しい反応だった可能性がある。1977年、心理学者ミシェル・トライスマン(Michel Treisman)は科学誌『Science』に、現在も乗り物酔いの進化論的説明として最も多く引用される仮説を発表した。


