1992年の研究で、神経学者のチームが、ある発見をした。厳密に言えば、その発見はヒトとはなんの関係もなかった。このチームが研究していたのは、プレーリーハタネズミ(学名:Microtus ochrogaster)という、米国中西部によくいる、目立たない小さな齧歯(げっし)類だ。
この研究では、とても不思議なことがわかった。研究者らがメスのハタネズミにおいて、俗に「愛情ホルモン」として知られるオキシトシンの作用を阻害したところ、その個体は交尾相手とのあいだで、つがいの絆を形成できなかったのだ。興味深いことに、同様のバソプレシンというホルモンをオスの個体で操作すると、絆の形成を促進したり、それと同じくらい簡単にすっかり阻害したりすることができた。
この研究の奇妙な点は、プレーリーハタネズミそのものではなく、ほかの動物と比べた場合の違いだった。プレーリーハタネズミと見分けがつかないほどよく似ているアメリカハタネズミ(学名:Microtus pennsylvanicus)は、乱婚制の種であり、つがいの絆をもともとまったく形成しない。
一夫一婦制の齧歯類と、乱婚制の齧歯類との違いは、なんらかの重大な道徳上の違いに帰するわけではない。その違いは、脳の報酬回路にある特定領域におけるホルモン受容体密度の違いに行きつく。
突きつめれば、鍵を握っていたのは、脳の報酬系の中枢である「側坐核」におけるバソプレシン受容体の分布だった。この受容体を操作すると、動物の社会生活全体を効果的に操作できるのだ。
それで、我々はなぜプレーリーハタネズミについて、あれこれ考えなければいけないのだろうか? なぜならこの研究は、もっと古くからある、もっと大きな疑問を考える糸口になるからだ。その疑問とは、「私たちはいったいなぜ恋に落ちるのか?」だ。
それに答えるためには、かなり昔までさかのぼって考える必要がある。
生存戦略としての恋愛
この上なく強烈な私的体験である恋愛が、進化の観点から説明がつくと知ることは、興味をそそられる一方で、ちょっと気分が下がるところもある。あらかじめ警告しておこう──以降の説明を読むと、ちょっと冷徹に単純化しすぎている、あるいはちょっとバカげている、と感じるかもしれないが、それでいい。進化生物学は、いまも昔も、部分的なマップにすぎない。あくまでも、何かの成り立ちを教えてくれるものであり、生きてそれを体験する人にとってそれが何を意味するかについては、ほとんど何も語らない。
その注意点を念頭に置いた上で説明すると、現在の科学界の合意では、恋愛が進化したのは、少なくとも部分的には、私たちヒトの系統に固有の、生殖上の問題を解決するためだったとされている。
生まれたばかりのヒトの乳児は、驚くほど無力だ。ほかの霊長類と比べてもそうだ。一人で生き延びられるようになるまで、数年にわたる徹底した世話を必要とする。これは、並外れて大きな脳が招いた結果であり、産道を通り抜けるためには、早く誕生しなければならないのだ。そうした乳幼児期の長い依存状態が、安定したつがいの絆を形成する、強力な選択圧を生んだ。
研究の示すところによれば、協力し合う2個体が世話をしている場合には、子どもの生存率が大きく上昇する。進化の歴史を経るうちに、両親の絆と投資を維持する神経生物学的メカニズムは、いっそう複雑で強固になり、私たちが他者との親密さを体験する仕組みに深く組みこまれていった。



