習慣2:協力的な形で割り込む
会話中の割り込みには本質的に異なる2つのタイプがある。そして、その2つを混同することは会話の中で相手を評価する際に犯しがちな重大な誤りの1つだ。米スタンフォード大学の心理言語学者キャサリン・ヒルトンは5000人以上のアメリカ英語話者を対象とした研究でこの点を明らかにした。アメリカ英語話者には次のような異なる会話スタイルが存在する。
1. 熱量のある話し手は一般的に沈黙の瞬間に居心地の悪さを覚える傾向があり、同時に話すことを関与の表れだと考える
2. 熱量がさほどない話し手は複数の人が同時に話すことを失礼だと感じ、1人ずつ話すことを好む
つまり、割り込みが失礼に感じられるかどうかはその場で起きた出来事の客観的な特徴ではなく、ほぼ完全に聞き手側の会話に関する規範によって決まるということだ。ある人には「話を遮られた」と感じられることが、別の人には「熱心に関与している」と感じられるのだ。
ここで重要なのは、話を遮って話題をそらしたり話を支配したりするような押し付けがましい割り込みと、アイデアをさらに発展させたり考えを補完したり、理解への熱意を示したりする協力的な割り込みを区別することだ。
後者は無礼さとは関係がなく、認知処理が速いことと関連している。割り込む人の脳は、話し手がまだ話し終わっていない段階で受け取った情報を統合し、応答を生成している。中には、相手が話し終えるのを待っていると考えが消えてしまうと考えるために、また内なる対話が激しく執拗であるために発言の機会を確保しようと話を遮る人もいる。これは社会的失敗というより連想思考が速いという特徴によるものだ。
性格や知能に関する研究から得られた大規模なデータはこの見方を支持している。米国科学アカデミー紀要(PNAS)に2023年に掲載された、デニズ・オネスとケビン・スタネックによる画期的なメタ分析では1400以上の研究結果が統合された。その結果、従順さ、自制、社会的順応を特徴とする礼儀正しさという協調性の側面が特定の認知能力と負の相関関係にあることが明らかになった。
協調性は全体として知能との相関が最も弱く、礼儀正しさという側面は一部の認知能力と負の相関がみられた。これは、置かれた状況で最も気配りがあり、決して人の話を遮らない人が最も聡明だとは限らないことを示唆している。
もちろんこれらは会話を強引に遮ってよいという「許可書」ではない。重要なのは意図だ。協力的な割り込みをする人は相手を軽視しているのではなく、積極的に関与している。無礼な割り込みと、認知的活力に満ちた割り込みとの違いはその後の展開、つまりその人が会話の流れに新たな要素を加えるか、それとも完全に断ち切ってしまうかに表れる。
これら2つの習慣から得られるより深い教訓は「無礼さは美徳」ということではない。むしろ、私たちの社会的アンテナは認知能力ではなく同調性を測るように調整されているということだ。私たちは自制心を知性とみなし、表現を前面に出すことを知性の欠如とみなしがちだが、その関係はそれほど単純ではないことが研究でますます示されている。
戦略的に使われる罵りの言葉や、熱意ある会話の重なりは誤解されがちだ。それらは表面的にはルールを学ばなかった人の行動に見える。しかし多くの場合、こうした行動をとる人はルールを十分に理解しており、それが適用されない場面を正確に知っている。


