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2026.06.18 16:15

「クラシック音楽」はデザインにどんな気づきをもたらすのか?

サローネサテリテにおける河端さんの作品

タイムズ紙の記事の中で目に留まったのは、モランが22年のル・モンド紙のインタビューで、レジスタンスでの経験が自分の視点を作ったのだと振り返った時の言葉でした。

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「私は恐怖心や隠れたいという気持ちと内なる闘いを繰り広げた。そして、生きることと、ただ生き延びることの違いを理解した。生きるということは、必要とあれば、命を危険にさらすことなのだと。その日、私は大人になった」

この「生きること」と「生き延びること」の対比が、私の頭の中でモヤモヤしていたユニバーサル性の差異を言い当てているように感じたのです。

モランにとって、生き延びることと生きることは、同じことの量的な違いではなく質的に異なる存在のしかたでした。彼はこの質の違いを「人生の散文と詩」という比喩で繰り返し説いています。人生の散文とは、義務や習慣、計算、感情のない機能性や合理性を指し、生き残るためになんとかやり過ごし、身を守り、必要に駆られて動いている状態を「散文的」だと表しました。

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一方で、人生の詩とは、家族やあったかいご飯、友達との会合など、高揚感や一体感を与えるすべてのものであり、ときには偽りの明快さを拒み、またときには矛盾や不確実性を受け入れる必要があるものだといいます。人生にはこの2つの側面があるが、今、私たちの日常は「散文」に支配され過ぎていると警告しました。

「詩的に生きるという考え方は極めて重要だと私は思う。なぜなら、どこを見ても散文——つまり、興味の持てないものや、やむを得ず耐え忍ばなければならないもの——が私たちを取り囲み、侵入し、寄生しているからだ。だから、立ち向かおう。詩的に生きよう。詩とは、単に書かれたり、読まれたり、朗読されたりするものであってはならない。それは、生きなければならないものなのだ」

モランのこの対比は、安西さんが河端さんのデザインに「クラシック音楽がもつ文化的ロジック」が生きていると思ったことと、伝統がストリーテリングによって「膨張」され生き延びている状況とも重ねて読めないでしょうか。

「数百年前に生きた作曲家の思想や感情を読み取り、それを現代のこの瞬間に音として甦らせる」という河端さんは、伝統技術や文化資源に「詩」として向き合い、そして得た喜びを表現に落とし込んでいるのではないでしょうか。

そうやって生まれた彼女の作品が、今度は他の誰かにとっての「詩」となっていく。そういう「生きる」連鎖が垣根を超えて人を結びつけていくのだと思います。

stock.adobe.com
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モランについて調べていると、彼がよく引用していたというスペインの詩人アントニオ・マチャードの一節に出会いました。

Caminante, no hay camino, se hace camino al andar. (旅人よ、道はない、歩くことで道は作られる)

探さずに、歩く。「詩的」に生きることとは、案外身体的なことだったのだと、腑に落ちた瞬間でした。

文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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