河端さんの作品、とても素敵ですね。ウェブサイトを拝見しましたが、近寄ってずっと見ていたくなる質感を持った作品だと思いました。
細かい多数の線がシームレスに一体化しているのではなく、それぞれ線の形を残したまま幾重にも重ねられている。その軌跡が残されているからこそ、彼女が忍耐強く時間をかけてデザインしたことを専門家でなくとも感じられるはずです。多くの人が立ち止まって眺めたり、隣にいる誰かと作品の前でじっくり対話したりする。そんな場面が目に浮かびました。
以前安西さんが、2024年のヴェネツィアのクラフトの祭典、ホモファーベルの感想の記事で、世界各地で争いが生じる現況にあっては、クラフトがもつ「ユニバーサル性」がこれからの文化を作っていくのではないか、ということを書いていたのを思い出します。
その意味では、彼女の作風は複雑で緻密ですが、とても「ユニバーサル」で「開けた」印象を受けます。お寺にも教会にも飾れるでしょうし、河端さんのインスタグラムの投稿で、彼女の作品がノルウェーの別荘で飾られている様子も拝見しました。場所も文化も選ばない、そういうオープンさがあります。
ところで、デザイン用語で「ユニバーサルデザイン」というと、特別な調整をせず、可能な限りすべての人々がアクセスしやすく使いやすいデザインのことを連想します。 自動ドアや、非常口やトイレのマークなどのピクトグラムが一例です。障害や問題を取り除くのではなく、最初から障害や不便さが発生しないように設計するプロセスを指します。
場所を選ばずともどこに行っても治安が良く、生活も便利で不自由のない日本は、優れたユニバーサルデザインに溢れた場所だと言えるでしょう。私自身、2年前にドイツから日本へ移住してきてその恩恵を肌身で感じています。一方で、日常の中で河端さんの作品に見るような「別の種類のユニバーサル性」に出会う瞬間は少し減っているように思います。
「世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学びます」
思想家・美術評論家の柳宗悦は、日本各地の職人が作る日用品の美しさと大切さを訴えかけた『手仕事の本』の後記でこう書きました。ユニバーサルデザインのような「住みやすさのユニバーサル性」は社会に必要不可欠ですが、ものを見て学び、実際に手を動かしていくことで異なる人々とつながるような「生きているというユニバーサル性」が、皮肉にも柳が愛した手仕事の国で今、見えにくくなっているような気がするのです。
安西さんに原稿をいただいた日の翌日、ニューヨーク・タイムズ紙にフランスの社会学者であり哲学者のエドガール・モランの追悼記事が大きく特集されていました。
「フランス知識界の祖」と称されるモランは、ナチス・ドイツ占領下のフランスでレジスタンス(抵抗)として生き抜いた活動家であり、5月29日に104歳で亡くなるまで、フランス文化の道徳的指導者として活躍し、「生ける記憶」とも称された伝説的な知識人です。学問の垣根を越え、物事を包括的に関係性の中で捉える「複雑性」の思考やアプローチを提唱しました。


