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2026.06.18 16:15

「クラシック音楽」はデザインにどんな気づきをもたらすのか?

サローネサテリテにおける河端さんの作品

彼女は、クラシック音楽でみている世界、デザインで見ている世界、その2つを肩肘張って無理に一緒にしようとしていません。というか最初から一緒なのです。

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バイオリンの演奏をするに際し、曲と演奏法の過去にあった数多の解釈から選択するときの頭の使い方、何らかのデザインをするときにどのようなアーカイブにヒントを得ようとするのかなど、ひとつの分野でのノウハウを他の分野に適用するのではなく、まったく同じ頭で違和感なく判断している気がします。選択へのプロセスでは試行錯誤するしかなく、これを彼女はクラフツマンシップと捉えています。

しかも、弦楽器奏者だからでしょう、他人とコラボレーションして演奏することが大前提になっている。その合わせ方やリズムの取り方が極めて自然なフローになっていると思えます。

クラシック音楽の要素をデザインのユニークさのために活用するという発想をしていない。河端さんとの会話でぼく自身が大きな発見をしたのは、伝統技術や伝統文化の活用モデルとしてのクラシック音楽の存在感です。

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クラシック音楽が斜陽分野のように一部で受け取られている一方、実のところ、若い世代がリミックスなどでクラシック音楽に親しみを覚える機会も増えています。どちらかと言えば、中年以上の方がクラシック音楽を「過去のもの」と見なしているかもしれません。しかし、その中年以上のクラシック音楽の見方が見直されるべき時期にきているのです。

16世紀のバッハを起源とするなら5世紀。グレゴリオ聖歌などもクラシック音楽とするならば、さらに長い期間がクラシック音楽史と言えるわけですが、ぼくが関心を覚えるのは、クラシック音楽の奏者が「伝統文化の継承のために演奏している」とは言わない点です。今の時代にも生き残った古い時代の作曲家の曲を新境地の開拓場所として試行錯誤しているのがクラシック音楽奏者なのです。

stock.adobe.com
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加えて面白いのは、多くの解釈や演奏法があるなか、現代の奏者が独自の解釈をできる余地は「おおよそ5%程度の場合が多いのではないか」(河端さん)であり、その5%に自分のプライドをかけて「クリエイター」とは自称しないところです。河端さんに言わせれば「数百年前に生きた作曲家の思想や感情を読み取り、それを現代のこの瞬間に音として甦らせるという点で、状況によってはイタコ(巫女)のような役割を果たしていることがあるように思う」と、人類の歴史文化にとても謙虚です。

今年のサテリテで河端さんは、消滅直前のエジプト古来の技法を使ったテキスタイルも展示していました。異なる地域の技法にもフラットに立ち向かえるのは、クラシック音楽で馴染んだロジックと同じだからなのでしょう。対象がなんであれ、ムキにならずにその世界の底にエッセンスも見いだそうとする背景だとも思えます。

クラシック音楽がもつ文化的ロジックがデザインにこんなにも縦横に生きられるとは、ぼくは今まで一度も考えたことがありませんでした。それはラグジュアリー領域においても同様だ、とぼくは思いつきます。伝統をストリーテリングで「膨張」させている歪みが、ラグジュアリー領域に新しい意味を求めるべきという声を大きくしているのですから。

前澤さん、河端さんと同じグラフィックデザインに生きる人として、後半は前澤さんだからこそ書ける内容になるのではないかとも思います。いかがでしょう?

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文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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