昔の体験からくる「想像の批判」
2つめのカテゴリーはより奇妙で強力だ。それは「想像上の他人」だ。
これらは、私たちの人格形成期に影響を与えた人々(小学校3年生のときの厳しい教師、キャリア初期のたじろがせるような上司、いつも認めてくれない親など)の声であり、そうした人たちは自己認識の形成に深く刻み込まれ、何十年も経ってなお私たちに語り続けている。
実際には、誰も「そのスライドの誤字脱字を三重に確認したのか」と問いただしてはいない。あなたが発言する前にためらった様子を室内の誰かが密かに記録しているわけでもない。それにもかかわらず、私が関わる多くのリーダーたちにとって、こうした声は毎日、絶え間ない低レベルの雑音を一日中生み出し、認知・感情的エネルギーを消耗させている。
ここで大切なのは、内なる批判の声を完全に封じ込めることではない。だが、その根拠や動機を検証する価値はある。そうした声が聞こえてきた時には、「実際にこれを言っているのは誰なのか。自分が意見を重視することにした、この部屋にいる実在の人物なのか。それともすでに役目を終えた30年前の録音なのか」と自問するといい。
自分が導き出した結論とは別に、相手の行動を考える
3つめのカテゴリーは、上記の2つが混ざり合ったものであり、おそらく最も一般的なものだ。それは実在する人に重ねてしまう予測や仮定だ。
毎朝6時55分に出社する上司は実は他の人にも同じことを求めているわけではない。単に通勤時間が非常に長く、渋滞を避けようとしているだけだ。あるいは早朝の瞑想や8時半前のオフィスの静けさを愛しているのかもしれない。
メールに返信しなかった同僚はあなたを無視しようとしているわけではない。電話中に気が散っているように見えた顧客は契約を見直そうとしているわけではない。こうした解釈はデータのように感じられるかもしれないが、実際はそうではない。それは脅威を予測するよう訓練された脳が作り出した物語だ。そして高い実績を上げるリーダーたちの脳はその役割を非常に上手にこなす。
計画的な除外の「立ち止まる」ステップはここで特に役立つ。相手が自分に何を期待し、何を望み、どう思っているかといった推測に基づいて行動する前に、まず立ち止まることだ。自分が導き出した結論とは別に、相手の実際の発言や行動を考えてみよう。この2つには大きな隔たりがあり、そこに多くの不必要な苦しみが潜んでいることが多い。
本当に必要な声を明確に把握する
これら3つのカテゴリーに共通しているのは、いずれもあなたの注意やエネルギー、さらにはアイデンティティーさえも無断で奪おうとするものであるということだ。
それらは招かれざる客として、しかも往々にして早すぎるタイミングで現れ、あなたがまだそれらを疑うことを思いつかなかったがゆえに、あなたの生活に定着している。
私が知る最もしなやかなリーダーたちは最も打たれ強い人ではない。そうではなく、その場(そして自分の頭の中)で本当に必要な声がどれなのかを明確に把握し、それ以外の声に対しては大げさに反応することなく、意図的に排除する人だ。
地獄とは他人かもしれない。だが、それが誰で、なぜそうなるのかは全てあなた次第だ。


