こうした観点から見れば、ヒトの水晶体が紫外線をカットするのは、進化的に見て理にかなっている。水晶体は、単なる焦点調節装置ではなく、保護フィルターを兼ねている。紫外線波長域の情報を犠牲にして、健康な網膜と、鋭敏な視覚を守っているのだ。
だが、紫外線をシャットアウトすることには、保護機能のほかにも利点があるのかもしれない。短波長の光は、長波長の光よりも強く散乱するという性質を持っている。空が青く見えるのはこのためだ。これが意味するのは、多量の紫外線が眼に入ると、視覚像のコントラストと精密性が損なわれる可能性があるということだ。ヒトは寿命の長い霊長類であり、視覚的に複雑な世界でのナビゲーション能力を必要とするため、可視スペクトルの広さよりも、視覚の鋭敏さの方が重要だったと考えられるのだ。
加えてヒトは、紫外線視覚とは違った視覚的適応、すなわち3色型色覚を洗練させてきた動物だ。霊長類はその進化の過程で、赤や緑、皮膚色の微妙な変化に極めて敏感な色覚を進化させてきた。こうした能力は、熟した果実の発見や、表情における情動シグナルの送受信、社会的コミュニケーションに役立つと考えられている。
進化はトレードオフに満ちている。可視スペクトルを紫外線領域まで拡張したとしても、ヒトの祖先がすでに備えていた視覚系の能力がわずかに向上するほかには、あまり利点がなかったのだろう。つまりヒトは、紫外線視覚を獲得「できなかった」というよりも、まっとうな理由があって、紫外線視覚を進化「させなかった」と考えるべきなのだ。
紫外線が見える、ひと握りの人々
ヒトには紫外線が見えないという常識には、注目すべき例外があることにも、ここで触れておきたい。無水晶体症(Aphakia)と呼ばれる、眼に水晶体がない人たちは、紫外線光を知覚できる場合があるのだ。
学術誌『Perceptual and Motor Skills』に掲載された画期的な論文のなかで、自身も無水晶体症だった外科医のロバート・M・アンダーソンが述べたように、この現象は、白内障手術の黎明期に明らかになった。現代のように、眼球内に人工レンズを埋め込む手術が一般化する前の時代だ。
患者たちは時に、白濁した水晶体の除去手術を受けたあと、青みがかった、あるいは白っぽい、それまで見たことがなかった色が見えるようになったと報告した。紫外線光そのものについて、淡い紫や明るい水色に見えると語る患者もいた。こうした現象が起こった理由は、比較的簡単に説明できる。紫外線フィルターとして機能していた水晶体がなくなったことで、以前よりはるかに多くの紫外線が網膜に到達するようになったのだ。
もちろん、だからといって水晶体を失った人が、突如として「スーパー視覚」を獲得したわけではない。ヒトの網膜には、ほかの動物に見られるような、紫外線に特化した光受容体は備わっていないからだ。それでも、短波長感受性をもつ錐体細胞には、特定の条件下で近紫外線に反応するだけの、痕跡的な感受性が残されている。
実に奇妙で、詩的でさえあるが、ヒトの視覚系には、普段私たちがほとんど経験しない、眠れる感受性が隠れているのだ。この機能は完全に失われたわけではなく、ただブロックされている。進化は、検出装置の一部をそのまま残しておいて、ただフィルターをかけたのだ。


