数理モデルへの依存がますます進む金融市場。その課題とは? サステナブル・ファイナンスの現在地と未来への展望を探る。
『数理モデルはなぜ現実世界を語れないのか(原題:Escape from Model Land)』(白揚社、塩原通緒訳)の著者エリカ・トンプソンは、数理モデルとは現実そのものではなく、モデル内部で整合した構築物だと強調する。トンプソンが警鐘を鳴らすのは、モデル内の論理が現実でも通用すると錯覚する「モデルランド」の住人たちだ。気候変動や経済予測など、不確実な未来予測においてモデルの限界をいかに認識するべきか。
今回行ったForbes JAPANと経済学101のインタビューでは、気鋭の数理モデル研究者である彼女に、有用な意思決定のための「責任あるモデリング」と、モデルランドから脱出するための道標を問う。
エリカ・トンプソン:モデルには、実にさまざまな選択が伴う。例えば目の前の「紅茶のカップ」を表現しようとするとき、その見た目をとらえるのか、熱力学的な温度変化をとらえるのか。この単純な例からもわかるように、モデリングにおける選択は、想定されるモデルの用途だけでなく、モデラーの価値判断にも左右される。私が著書で取り上げている気候、金融、疫学モデルなどは、本質的に政治的な性質を帯びている。なぜなら、これらのモデリングにおける選択は、私たちの価値判断を反映すると同時に、問題の理解の方法を規定するからだ。
単一のモデリング環境のなかで複数の事象を扱うには、それらを「共通の尺度」で「測定可能」なかたちに一般化する必要がある。しかし、その過程でそれぞれの「質的な情報」は失われてしまう。費用収便益分析では、すべてを「費用(コスト)」という言葉でまとめられる。もちろん、モデルにおける一般化は、異なる結果同士を一貫して比較可能にする。しかし、モデルは私たちの価値判断を反映するものであり、そこに表現されないものはおのずと「ゼロ」としか扱われないことに留意する必要がある。
もうひとつの問題は、「モデルの出力を扱う意思決定者もまた“モデルランド”にとらわれていないか」ということだ。つまり、モデルが間違っていたり、誤解を招いたりする可能性を考慮することなく、出力された結果をうのみにしていないか、という問いである。
ツールとしての数理モデルは現代の科学技術の成功を支えており、それは決して軽視すべきことではない。しかし同時に、「カテゴリー錯誤」が働いている。私たちは数理モデルについて、ふたつの異なる種類を区別して語るべきだ。十分な過去データが存在する領域における「内挿的モデル」については、結果はモデルに限りなく近くなるため、信頼に値する。しかし、価値判断に根ざした強い仮定を置く「外挿的モデル」による未知の未来予測については、結果はモデルから大きく乖離して当然であり、「モデルの不確実性」について極めて慎重になるべきだ。
もしそのモデルが過去にどの程度機能したかを理解し、モデルのエッジケース(例外)やブラインドスポット(盲点)について思考を巡らせ、自分たちの価値判断が効果的に反映されているかを確認し、そのうえでモデルに基づく現実世界への提言を自らの責任で発することができるなら、その人はモデルランドから脱出できていると言える。それは「完璧な予測ができる」という意味ではない。「“このモデルによれば”、来年の倒産リスクは5%だ」と言うか、あるいは「モデルやその他の知見に基づき、来年の倒産リスクは5%だと“私は推定する”」と言うかの違いだ。
KEYWORD 01|「モデルランド」
すべての仮定や数式が完璧に成立し機能する、不確実性の存在しないモデル内部を指す表現。トンプソンによれば、本来モデルは現実に近似した「比喩(メタファー)」に過ぎないが、モデルを現実世界と錯覚し、内部の整合性を現実世界にまで無批判に当てはめてしまうと意思決定に致命的なゆがみが生じる。



