深い不確実性下の意思決定
数理モデルに基づく意思決定は、「平均化」と「最適化」の問題を抱えている。
モデルが独立したサンプルではないとき、その平均が妥当な推定になるとは限らない。例えば、「降雨量が増えるため、浸水深は4メートルになる」ことと、「治水対策への投資があるため、浸水深はゼロになる」こと。これらは異なる理由による異なる予測だ。その平均をとって「浸水深2メートル」という数字に確信を持つことにはまったく合理性がない。
哲学者ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、私たちが確信を得られるのは「多様な情報源」を検討したときだけであり、それ以外は書かれていることが真実だと自分に言い聞かせるために同じ新聞を何部も買うようなものだと論じた。複数のモデルが存在すること自体は、多くの情報を提供し、確信を高めることにつながる。しかし、モデル間の独立性を無視した「平均値」をただ一つの「真理の推定」ととらえることには、潜在的に莫大なリスクを孕んでいる。そして「最適化」とは、考え得る選択肢のなかからひとつの「最適な」結果を選ぶことを意味する。これには私たちが「何が最善の結果であるか」をすでに知っており、かつ将来にわたってそれに合意している前提がある。この前提にはふたつの問題がある。ひとつは、すべての価値判断を定量化してモデルに含めることが技術的に不可能だということ。もうひとつは、その価値判断について、他人とはもちろん、将来の自分自身とさえ合意できていない可能性があることだ。
そもそも、私たちは「数値化可能な価値」だけを最適化すべきなのだろうか。将来の自分が何を価値とみなすかは、今現在の私たちにはわからない。例えば、将来のコストや利益を評価するための「割引率」の議論は興味深い。割引率とは将来発生する価値を現在の価値に換算する際の手法だが、高い割引率には「将来は現在よりも豊かであり、将来のことは将来世代がどうにかする」という責任転嫁が含意されている。対して、低い割引率は将来の影響や利益をより高く評価することになる。興味深いことに、ファミリー・ファウンデーション(家族財団)では割引率を低く設定するか、そもそも割引率を会計に取り入れないことがある。彼らにとって将来の価値は単なる計算上の数字ではなく「現在の価値と等しい現実」だからだ。彼らは、50年後や100年後の世代に対して、強い感情的な繋がりを感じている。しかし、伝統的な経済モデルでは、割引率をゼロに設定すると無限大が発生し、最適化計算ができなくなる。
モデルの限界によって不確実性が切り捨てられている。もし「生態系の健全性」「世代間の正義」「コミュニティのレジリエンス」を心から大切に思うのであれば、私たちは代替的なアプローチを模索しなければならない。
それは、モデルを情報源の一つとして、このような一般化によるモデリングから、より質的な選択肢の分析に立ち返ること。あるいは、「平均的な意思決定」や「最適な意思決定」ではなく、モデルベースであっても「ロバスト(頑健)な意思決定」、つまり不確実性のある将来にわたって適切であり続けるような意思決定を目指すことだ。


